片町線の起点駅だった片町駅

かつて現在の京橋駅から西へ800mほど先に、片町駅がありました。当初は片町線の始発駅として、1895年(明治30年)に浪速鉄道が片町から四条畷までの9.8kmを繋いだのがはじまりです。その後、運営会社の変遷、周辺環境の鉄道事情や物流産業の変化に伴い、京橋駅から西へ伸びる東西線の開通をトリガーにそれまでの役割を全うし、廃駅となります。片町駅に関するその今昔を整理したいと思います。

駅所在地

JR京橋駅から京街道沿い、南西に向かって800mほどの地点にありました。大阪ビジネスパークことOBPへ向かう道路の交差点に片町という名の交差点もあります。地図の★マークが駅所在地です。ちなみに赤い枠が現在の「片町」と呼ばれる地名エリアです。

かつての地名は相生町(あいおいちょう)

かつては相生町という地名でした。片町という地名はこの場所にあった京街道の北側にしか街がないよう場所で、南には鯰江川(今は埋め立てられて存在せず)、寝屋川があり、北側にしか発展余地としてなかったわけです。よって、京街道の沿いの中で、片側しか街がないから、「片町」となった駅名になりました。

駅の片側が栄えているから片町駅わかりやすいですね。

古くは江戸時代、1696年(元禄9年)に作成された「大坂大繪圖」からもその地名を確認することができます。

国立国会図書館デジタルアーカイブより

なぜその場所に駅を設けたのか

大阪の東郊外は寝屋川の水運に頼っていましたが、これを代替する目的で計画された、とのことです。(『日本国有鉄道百年史』第4巻p. 482)

国土地理院発行の明治期の低湿地マップが川も含めて解りやすいので、この地図と現代の地図を対比してみました。

片町駅から寝屋川に沿って東(地図の右側)に向かい、その後第二寝屋川沿いにやや南東の放出駅へ向かいます。その後若干北東方面へ進み、徳庵駅へ向かいます。いずれも川沿いであることが伺えます。

徳庵駅からの北東へ向かい、今の第二寝屋川沿いにいき、住道駅へ。そしてさらに北北東に向けて四条畷駅へ目指していることがわかります。

当時まだ水運が主体だった時代に、天候に左右されず、船舶と比較して定時性・高速性に優れている鉄道にて物資輸送を考えていたことだと思います。もちろん旅客輸送もありましたが、当初は貨物メインであったと考えてもよさそうです。上流にさかのぼれば、船舶の大きさによっては小さな舟でしか輸送できないこともあったかと思います。

或いは寝屋川を挟んで向かいにある旧陸軍工廠に、四条畷方面にあるなにかしの材料を安定的に運ぶことを考えていたのかもしれません。

いずれにしろ、片町付近まで運ばれてきた物資を大阪東方面へ運び入れるにあたって、川の近くに駅を設置することで物資の荷揚げ効率などを考えた上もあったでしょうし、当時は鉄道の用地買収にあたって、街中ではなく少し外れた場所を購入するにあたって便宜が良かったのかもしれません。

日本各地へつながる高速道路、モータリゼーションが進展するまでは鉄道が陸上での物流を担っていたのはいまさらここで言及するまでもないでしょうね。

沿革

時代のタイミングの変化点をトリガーに、関連情報を整理します。

1895年(明治28年)8月22日 – 開業

Naniwa Railway Linemap 1897 – 浪速鉄道 – Wikipedia

浪速鉄道の駅として四条畷駅 – 片町駅間の開業と同時に開業。右側に関西鉄道の路線図が見えます。今後、積極的な買収施策によって、浪速鉄道、大阪鉄道の買収をすすめています。

1897年(明治30年)2月9日 – 譲渡

浪速鉄道を関西鉄道に譲渡。

浪速鉄道はわずか1年半で関西鉄道に吸収されます。関西鉄道引き継ぎ時は機関車4両、客車24両、貨車15両だったようです。現代社会の中で比較しても、客車に対して貨車の占める比率が高いことがわかります。

1898年(明治31年)11月18日 – 旅客営業廃止

旅客営業廃止。買収した関西鉄道が官営の東海道本線にかわる名阪のルートとして、新規のターミナル駅として最寄りに網島駅が開業しました。この開業に伴い、旅客営業用としての駅は網島駅にゆずり、片町駅は貨物輸送のみの駅となります。

1905年(明治38年)1月1日 – 旅客営業再開

7年の時を経て、再度旅客営業が再開します。旅客需要が増えてきたのだと思います。

1907年(明治40年)10月1日 – 国有化

鉄道国有法により国有化、帝国鉄道庁の駅になります。このころから、段々片町駅としての陰りが見えるようになります。

1912年(明治45年)4月21日 – 京橋口乗降場の開設

城東線(今の環状線)京橋駅との乗り換え駅の便を図るため、京橋口乗降場が開設されます。これにより、片町駅から環状線への乗り換えが便利になります。

1913年(大正2年)11月15日 – 京橋駅誕生

京橋口乗降場を格上げし、城東線乗り換え駅となる京橋駅として分離されます。これにより、片町線としても京橋駅ができることになります。同路線上では目と鼻の先くらいの距離に駅がつながることとなります。環状線を使う方々が放出駅方面に乗換する際には格段に便利になったといえます。

1987年(昭和62年)4月1日 - JR西日本へ

国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となります。それでも片町駅は片町線の始発駅としての立場を保っています。

1991年(平成3年)春頃 – 旧駅舎撤去

引用:参考資料の各サイトより
1980年後の航空写真より

1980年の航空写真ですが、旧駅舎が線路に対して垂直に面してるのがわかります。当初は始点・起点の駅であり、ターミナル駅として建設されたのがこの時代でも伝わってきます。

京橋駅から地下に潜り尼崎までつながるJR東西線の工事開始に伴い旧駅舎と旧ホーム撤去、仮駅舎に移行します。

片町~鴫野 1978/3/14: 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに (cocolog-nifty.com)より
片町~鴫野 1978/3/14: 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに (cocolog-nifty.com)より

1997年(平成9年)3月8日 – 廃駅(閉業)

1996年時の国土地理院地図より (埼玉大学 今昔マップより)

JR東西線の開業に伴い廃止。線路切替工事の為、前日(3月7日)21時30分をもって営業終了となります。

跡地

跡地は駐車場、洗車場となっています。

Googleの航空写真でもみてもかなり広大なエリアが駐車場になっているのがわかります。青い枠がかつての路線や留置線、駅舎があったエリアだと思われます。

大阪市の教育委員会が、かつてこの地に片町駅があったことを示す案内板を掲示しています。

この案内板、唯一残念なのが非常に小さく、意識していないと全く気付かず通り過ぎてしまいます。片町交差点の京橋駅側の柵にかけられています。

片町駅の遺構

唯一、片町駅に関連する遺構を確認できる場所があります。寝屋川を跨いでOBPへ繋がっている高架歩道、京橋プロムナードからかつて地上を走っていた際の切り替えポイントを見ることが出来ます。この場所は私有地ですので、立ち入ることはできませんが、歩道橋から眺めることができます。

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参照リンク

思い出の片町駅 | 鉄道で行く旅のブログ (ameblo.jp)

廃駅をめぐる  【5】 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

浪速鉄道 – Wikipedia

片町駅 – Wikipedia

片町~鴫野 1978/3/14: 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに (cocolog-nifty.com)

大坂大繪圖|書誌詳細|国立国会図書館オンライン (ndl.go.jp)

片町駅の振り返って
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