国道1号線桜宮橋の歩道が広過ぎ!なぜ広い?

大阪市の北区と都島区の区界は、かつての淀川、今は大川と呼ばれる川が流れており、国道一号線から中央区から都島区に入るのは、桜宮橋(櫻宮橋)を渡ります。この桜宮橋、戦前は東洋一の長さを誇るアーチ橋でした。地元では銀橋と言われるこの橋の歩道がとにかくぶち抜きで広いです。なぜこんなにも広いのでしょうか。

橋は2本構成です。素人目にもわかる古い橋、新しい橋の2本です。それぞれ橋の約半分が歩道、もう半分が車道という構成になっています。古い地図や航空写真、それから国土交通省のサイトから、橋について詳しい事を説明されている方のサイトなどをもとに、この橋に関連する歴史について追いかけてみたいと思います。

【結論】かつては橋1本。道路拡幅時に橋追加。3車線以外は全て歩道へ

大阪市 都島区 戦後70年記念画像アーカイブ 銀橋を渡る木造車両 (osaka.lg.jp)

上の写真、北区側から都島区側を撮影した写真です。こちらの写真は、守口市の阪本様より都島区役所に提供されたものであり、写真の裏には「昭和10年6月23日桜の宮大橋市電開通1081型開通」と書いてあるそうです。ということは、この写真は昭和10年(1935年)に撮影された可能性が濃厚です。

この写真を見ると、橋の両サイドに縁石があり、歩車分離されています。写真の右側には今も残る煉瓦造りの螺旋階段をも確認することができます。もともと、両岸にあったようですが、新たに北側に新桜宮橋建設時に外されてしまったと思われます。西側のほうが橋の欄干部が長いので、おそらくこの写真は都島区側から北区側に向かって撮影した写真だと思われます。

橋と大川沿いの遊歩道を繋ぐ螺旋階段。春にはここら一体は両岸が桜でおおわれます。

初代の櫻宮橋が建設された当時は、橋の両側に歩道があり、中央には市電が通り、かつ対面交通の橋だったことがわかります。

櫻宮橋の北側に、新桜宮橋(新銀橋)が開通したのが2006年ですが、その際、旧橋は沈下対策による大改修をしています。旧橋の改修完了時に上り・下りそれぞれ3車線を確保した後に、残りの部分を歩道としたことにより、歩道だけでも8m以上の広さになっているわけです。

北側にある新桜宮橋の歩道。歩道は8.25mの広さです。

この歩道が広いことは、橋の北側、南側の景色をゆっくり見ることができますし、歩行者含めて広い歩道の中で、安心して橋を渡ることができます。

事業の詳細

事業の詳細はこの橋を管理する国土交通省の近畿地方整備局大阪国道事務所がこの銀橋の専用のWebサイトを設けています。おそらく新銀橋の工事着工当初から開通に至るまで、工事の進捗を発信していたかと思います。新銀橋が開通してすでに15年以上経ちますが、当時のままのHPとして掲載されています。

こちらのサイトから一部引用させていただき、「なぜ?」の部分について事業の目的、計画概要について整理します。

そもそもなぜ広げたの?(事業の目的)

こちらはわかりやすいですが、一言でいうと「渋滞がひどいから道路を広くする」、というものです。

大阪都心部と大阪北東部を隔てる大川(旧淀川)に架かる数少ない路線であるため、慢性的な渋滞が発生しています。
 同拡幅は、国道1号の東野田交差点から東天満交差点までの0.7kmについて、交通混雑の緩和、快適で安全な歩行空間の確保、市民がより一層親しみやすくかつ使いやすい道路、地域の活性化を目的とし、現道幅員22m(4車線)から幅員40m(6車線)に拡幅する事業

近畿地方整備局大阪国道事務所 の銀橋サイトより

どのぐらい広がったの?

新銀橋含めて、車道は4車線から6車線へ歩道は、6m(3m+3m)から17m(8.25m+8.25m)です。とりわけ歩道がとても広くになっています。約3倍!!!

近畿地方整備局大阪国道事務所 の銀橋サイト

場所

大阪市北区天満橋1丁目と都島区中野町1丁目をつなぎます。

中央区側から都島区を望む、2つの銀橋。この写真の左手側が泉布館、旧桜宮公会堂、右側が造幣局です


北側の新しい橋が「新櫻宮橋」、南側が「櫻宮橋」です。Googleマップ上ではさくらの文字が、「桜」になっていますが、橋には旧字体の「櫻」と記述されています。

南西側には造幣局、北西側には天皇陛下はもとより、各種要人が宿泊した泉布館、旧桜宮公会堂など、歴史ある建屋があります。

道路を跨いで見える造幣局。記念通貨の販売、見学なども受け入れています。遠目からはJR上野駅のようです
車寄せが残る造幣局。今も現役で貨幣を製造しています。
旧桜宮公会堂。結婚式会場として使われています。小さいながらも鯉が泳ぐ庭もあり、解放されています。特にこの正面の門は重要文化財です。

一方東側には、橋の名前のもとになったと思われる櫻宮神社があります。

橋の沿革

Sakuranomiya Bridge in 201504.JPG
User:Mc681 – Wikimedia Commons 2015年4月2日撮影 左側が旧橋、右側が新橋。桜が綺麗ですね

新旧ある各橋の沿革を再整理しておきます。都島区から中央区へ向かう西向きは3車線、中央区から都島区へ向かう東向きも同様に3車線確保されており、歩道はそれぞれにあり、歩道の幅は8.25mもあります。

旧橋

  • 開通年:1930年(昭和5年)
  • 形式:鋼アーチ(3ヒンジアーチ)
  • 橋長:108 m
  • 幅員:22 m

新橋

この新橋の追加にあたって、旧橋の銀橋のデザインを侵害しないよう、なるべく似たようなデザインが発注時に盛り込まれており、これに今の安全設計を実現するためには受注企業が非常に細かい点まで考慮した設計・施工をした点は素晴らしいといえます。詳細はブログ下段の「新桜宮橋の製作と架設 ~全断面現場溶接による下路式ローゼ橋の施工について」のリンクを参照ください。

  • 開通年:2006年(平成18年)
  • 形式:鋼アーチ(単純ローゼ桁)
  • 橋長:150 m
  • 有効幅員:18.75 m(車道部:10.50m、歩道部:8.25m)

古地図・過去の航空写真から

いつも通り、古地図・過去の航空写真からその移り変わりを追いかけていきたいと思います。

1911年(明治44年)の地図

この頃はまだ、今の国道一号線の広い道路もなければ、桜宮橋もありません。あるのは、その北側に架けられていた「淀川橋」の表記だけです。その淀川橋へと連なる西側道路の北側には、つまり泉布館や旧桜宮公会堂の北側(今は帝国ホテルエリア)には「三菱製錬場」の表記を確認できます。

1929年(昭和4年修正版)の地図:発行されたのは1932年(昭和7年)

この地図が発行されたのは昭和7年ですが、作成・修正されたのは昭和4年時でしたので、まだ桜宮橋が架かっていない状態でした。昭和5年から橋が開通するのですが、地図作成時の段階では、橋の両サイドには拡幅された道を確認することができます。都島区側に一部、まだ用地未改修なのか、道路になっていないところを確認できます。

1936年(昭和11年)年時の航空写真

桜宮橋が開通しています。太陽が丁度南にある時の航空写真だったのか、アーチ橋の影が大川に写っています。この頃は、1本の橋で東行き(中央区から都島区へ)、西行き(都島区から中央区へ)がおそらく片側2車線くらい確保され、橋の両サイドには歩道があったと思われます。(ブログ冒頭の白黒写真の様子)

また、旧桜宮公会堂の北側(今は帝国ホテル、大阪アメニティパーク)には工場の建屋を確認できます。

1950年(昭和25年)時の航空写真

戦後の爪痕をまだあちこちに残しています。橋の東の都島区側(東側)は、一部の建屋を除き、焼夷弾による空襲のためか、焼け野原のようになっています。

1964年(昭和39年)時の航空写真

東京オリンピックの年です。戦後の航空写真で北区・中央区の建屋がほとんどなかった状態から復興し、多くの建屋を確認できます。また桜宮橋も中央分離帯らしきもの、歩道など、その色の違いをはっきり確認することができます。

1979年(昭和54年)時の航空写真

撮影した時間帯は不明ですが、国道1号線には多くの車を確認することができます。また、都島区側には、国道1号線の拡張に向けた用地確保の状態を確認することができます。

1984年(昭和59年)時の航空写真


まだ新桜宮橋はかかっていませんが、都島区側には新しく北側に架けられる新銀橋用に道路がしっかり確保されています。このタイミングでは北区から桜宮橋を渡ってきた車両が都島方面に向かう(地図でいうと右上方面への)分岐用へと仮使用されています。

1995年(昭和63年)時の航空写真

この頃になると、北区側も新桜宮橋用に国道1号線をより拡幅するための工事を確認することができます。(地図でいうと、左側)ただ、泉布館などの部分はまだ工事を確認することはできていません。(もともと公用地ということもあり、用地買収の手間はかからなかったと思いますが)

確証はないですが、この段階では片側2車線(車両4車線)に北側・南側にそれぞれ歩道があったと思われます。

ちなみに帝国ホテルエリアは建設中ですね。

2007年時の航空写真

新銀橋開通の翌年となる航空写真です。国道は大きく拡幅され、新橋側の北側にも幅の広い歩道を確認することができます。

Googleの航空写真(2022年1月時点の表示)

それぞれ片側3車線に加え、広い歩道をも確保された拡幅された国道1号線と新旧の銀橋を確認できます。

ギャラリー

新銀橋からは北側、銀橋からは南側の風景、いずれもとても良い風景です。個人的には大阪城や緩やかなカーブになっている大川、そしてその両岸の木々(主に桜)の景観が四季それぞれ綺麗であり、また夜に大阪城のライトアップはもとより、最寄りのOBP(大阪ビジネスパーク)のビル群の窓から漏れる明かり、そして川の両岸のライトアップ、それらはとても良いものです。

新銀橋から北側を望む。桜のシーズンは川の両サイドでの桜が素晴らしいです。まさに「桜宮」という地名にふさわしいです。

旧銀橋から南側を望みます。川の曲線は美しく、ビル群や大阪城を見ることができます。

時間許せば、景色はもとより、橋の構造やデザインなど一つ一つを、ぜひ足をとめてみる価値はあります。もちろん、今も現役の橋ででし、広すぎる歩道で停止しても滅多なことでは往来の邪魔にはなりません。

ギャラリー

新銀橋からは北側、銀橋からは南側の風景、いずれもとても良い風景です。個人的には大阪城や緩やかなカーブになっている大川、そしてその両岸の木々(主に桜)の景観が四季それぞれ綺麗であり、また夜に大阪城のライトアップはもとより、最寄りのOBP(大阪ビジネスパーク)のビル群の窓から漏れる明かり、そして川の両岸のライトアップ、それらはとても良いものです。

新銀橋から北側を望む。桜のシーズンは川の両サイドでの桜が素晴らしいです。まさに「桜宮」という地名にふさわしいです。観光用の舟で水上から見る桜は格別でしょう。

旧銀橋から南側を望みます。川の曲線は美しく、ビル群や大阪城を見ることができます。

時間許せば、景色はもとより、橋の構造やデザインなど一つ一つを、ぜひ足をとめてみる価値はあります。もちろん、今も現役の橋ででし、広すぎる歩道で停止しても滅多なことでは往来の邪魔にはなりません。

また、日が落ちた後の景色も素晴らしいです。橋は青白く照らされます。これは照明の向きの都合上、北区側から都島区へ渡る際に、このように見えます。逆の向きの場合はこうは見えません。

また、大阪城はもとより川沿いのライトアップはついつい足を止めてしまいそうです。

最後に

初めて歩道を歩いた時、季節的には4月上旬だったときもあり、桜がとても綺麗でした。また細くて狭い道路が多いJR京橋駅周りと比べて、国道ということもあって広く、さらに橋の上ともなれば周囲の景観を邪魔する建物からも遠ざかり、空が大きく開けることによって、各シーズン、朝、昼、夜とそれぞれ異なる景観を楽しむことができます。これは何も桜宮橋に限った話ではありませんが、水都と呼ばれる大阪は大きな河川が大都市を巡り、川幅が広いことで橋も大規模なものとなり、橋を渡るたびに360度に広い空が開け、大都市の様々な建屋を借景とした景観を楽しめます。

この景観を楽しんでいたのは、何も今日にはじまったわけではありません。江戸時代は幕末に、浮世絵木版画として印刷された浪華百景またの名を浪花名所百景として、大坂の町の様子が多く描かれている中で、この桜宮橋界隈も描かれています。

「川崎ノ渡シ月見景」歌川芳雪 – 大阪市立図書館デジタルアーカイブ 1800年代。南粋亭芳雪/画。浪花百景 102枚のうちの1枚。大阪市立中央図書館蔵。

 今の大川(江戸時代は淀川)の造幣局一体の土地は、天満川崎とも呼ばれました。この界隈は、渡し船があり、鯰江川にかかっていた備前島橋、そして寝屋川にかかっていた京橋(駅の京橋ではなく、もともとの橋名)からの大坂城の眺めは後世へ残す絵にもなるくらい素晴らしいものだったということでしょう。

手前の舟は豪華な舟ですが、奥の舟はまさに渡し船をうかがわせるものです。その後ろには橋が2つあり、その後ろには大坂城が描かれています。

今の桜宮橋のエリアから、もう少し南東だったとは思いますが、鯰江川や寝屋川などが淀川に流れ込み、多くの舟が行き交っていた中で、上町台地の上のたつ大阪城を北側から眺めるのはとても贅沢な事だったのかもしれませんね。

この江戸時代末期には徳川幕府によって再建されたとはいえ、大阪城には多くの櫓が残っていたことが確認できます。その多くは戦災で失ってしまい、今は数える程度しか残っていません。

かつては、物流・移動の主役は水運が担っていた時代がありました。今はその多くを道路網が発達した陸運が主役です。モノや人が移動する場所や手段が変われど、人が「あぁ、素晴らしい景観だなぁ」と想うその感覚は、いつの時代も不変であると信じています

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

逸脱して、歩道が急に広くなるこちらのブログももし良ければどうぞ。(今度幅員を測ってみよっと。)

参照サイト

新桜宮橋の製作と架設 ~全断面現場溶接による下路式ローゼ橋の施工について~ (kawada.co.jp)

桜宮橋 – Wikipedia

大阪市 都島区 戦後70年記念画像アーカイブ 銀橋を渡る木造車両 (osaka.lg.jp)

大阪の橋~桜宮橋 : レトロな建物を訪ねて (exblog.jp)

大阪市・桜宮橋(銀橋) : スタレモノ (livedoor.jp)

銀橋サイト (mlit.go.jp)

近畿整備局、「新桜宮橋」が待望の竣工-Nikken Times (nikken-times.co.jp)

銀橋の歩道が広い理由
最新情報をチェックしよう!