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東西線・学研都市線

  • 2022-11-05
  • 2022-11-27

鴫野西にあった鐘淵(鐘紡)運河の遺構を探る

前回、大阪市城東区のに鴫野西には鐘淵工場の広大な敷地があり、寝屋川から「h」型の運河が開削されたて時代を古地図ベースで確認しました。今回、当地での遺構がないかを調べ、かつて運河にかかっていたであろう橋の親柱を確認することができました。近代に開削された運河、曲がり角は広い用地になっており、その曲がり角 […]

  • 2022-10-30
  • 2022-11-19

「h」型の運河の跡を探る

近代的な高層ビルがある京橋駅の南西方面にある大阪ビジネスパークこと、OBP。かつては陸軍砲兵工廠があった場所です。一方、京橋駅の南東方面、OBPの東側にある環状線のさらに東側、あるいは学研都市線の鴫野駅の西側には多くの集合住宅が林立しています。これだけの広い地域を確保できた背景には、工場か何かがあっ […]

  • 2022-02-11
  • 2022-12-04

今も健在する江戸から続く大阪七墓の蒲生墓地

大阪は京橋、駅の南東側に小さな居酒屋や焼肉屋が並ぶなかで、その合間にひっそりとした墓地があります。よほどの事でないかぎり、そこが墓地であると認識することさえも難しいくらい周辺はそれら建物でおおわれており、わずかばかり見える柵やその隙間を通じて、墓地であることがわかります。 この墓地は歴史が長く、江戸 […]

  • 2022-01-03
  • 2023-03-24

国道1号線桜宮橋の歩道が広過ぎ!なぜ広い?

大阪市の北区と都島区の区界は、かつての淀川、今は大川と呼ばれる川が流れており、国道一号線から中央区から都島区に入るのは、桜宮橋(櫻宮橋)を渡ります。この桜宮橋、戦前は東洋一の長さを誇るアーチ橋でした。地元では銀橋と言われるこの橋の歩道がとにかくぶち抜きで広いです。なぜこんなにも広いのでしょうか。 橋 […]

  • 2021-11-07
  • 2021-11-09

えっ!?こんな川で鯉が産卵。川での鯉のぼり

5月初旬ごろだったでしょうか、春めいてきて、鯉のぼりがあがる季節でした。大阪府東大阪市で、大阪を代表する難読駅名である放出駅(はなてん)の南側の商店街を長瀬川(源流は八尾市のほうまで遡ります。)が横切っています。平時では本当に水量もわずかで、コンクリート護岸になってるので、せせらぎの川とはほど遠い状 […]

  • 2021-08-16
  • 2021-08-17

明福寺脇にあった寝屋川と井路を通す樋門

大阪府大東市、寝屋川沿いにある明福寺最寄りに石碑を見つけました。何やら歴史的な偉業を讃えるかのような記念碑のようです。石碑に掘ってある字を手で読み取るかのごとく近づいて、色んな角度での読解を試みていたところ、最寄りのお宅から可愛い猫さんを抱えた女性が出てこられました。ひょっとして何かこの石碑の事で知 […]

  • 2021-08-14
  • 2023-03-11

京橋駅に1トン爆弾が落ちた日

1945年8月14日、京橋駅に1トン爆弾が落ちました。日本が終戦日としているのが8月15日ですので、その1日前です。当時の京橋駅は、片町線(今の学研都市線)と城東線(今の大阪環状線)が交差している駅で、その日も多くの方が最寄りの工場への出勤等でたくさんの人が集まっていた時でした。最寄りの陸軍工場を狙 […]

  • 2021-07-05
  • 2021-07-05

鴫野駅界隈の煙突元の調査

幹線道路から少し入って、斜めの道や細い道が多くある界隈で、煙突を見つけました。灰色で無骨そのものの煙突です。こちらの煙突は・・・。それからこの地に斜めの道路が多いことが気になり、古い航空写真もあわせて調べてみました。 【結論】現役銭湯の「華厳温泉」さんの煙突 白を基調にした壁や看板です。まさにシンプ […]

  • 2021-05-01
  • 2021-05-03

せせらぎ水路となった御領の井路

井路(いじ)と呼ばれた農村地帯の水路がその役目を終えて、現代ではせせらぎ水路として地域の方に潤いと安らぎを提供している場所があります。大阪府大東市の御領(ごりょう)と呼ばれる地域の一画に行政・地域の方の尽力ににより、今はせせらぎ水路として当初の目的を変えて当時の姿をわずかばか残しています。かつて農村 […]

  • 2021-04-18
  • 2021-04-22

井路舟展示:鴻池新田会所

農業用水路としての井路川(いじがわ)を巡っていた井路舟がこちらに展示されていることを知り、見学してきました。大東市が管理しており、国の重要文化財となる建屋が多くありますが、私の目当てとしていた井路舟も二艘展示されていました。この地域はもともと低湿地帯でしたが、江戸時代に地域の関係者から幕府への陳情に […]