なぜこんな地境なの?大阪市立総合医療センター

大阪市都島区の地下鉄谷町線都島駅から西へ徒歩3分ほどにある大阪市立総合医療センター。12の臓器別センターと58の診療科を擁し、各診療科に専門医を有し、高度かつ専門的医療を提供しています。病床数は1,000を超え、1,063床もあります。救急はもとより地域の高度医療には欠かせない重要施設です。ただこの敷地内の駐車場部、東側の地境には当初から違和感を感じるものがありました。今回、過去の地図や書籍を通じて、その違和感を払拭することができたので、その内容を整理してみました。

何が気になるのか?

ここ、おかしいなぁと気になるのは実際に道を通ってみないとわからない時がありますが、ここではわかりやすいように地図と航空写真をベースに説明したいと思います。左側が地図、右側が航空写真です。それぞれの地図・航空写真の中央が大阪市立総合医療センターです。


むむむ?と思う地境をもう少しわかりやすくすると

例えば、南側から北側へ道沿いにいこうとするとこんな道になります。

そして東側のでっぱりから、また西側に斜めの道があります。角地には公民館らしき赤い屋根の建物があります。(2022年ごろに屋根が青に塗り替えられたようです)

【結論】かつて大阪市電の車庫用敷地だった

かつて大阪市内を縦横無尽、そして市外には守口まで伸びていた大阪市電(いわゆる路面電車、チンチン電車)の車庫の跡地だったわけです。妙な形の土地は、都島通りに対して斜めに入り、車庫用の建屋があったためだとも思われます。古地図や過去の航空写真をおいかけてみたいと思います。

1929年(昭和4年)時の地図

路面電車が大川にかかる都島橋から今の都島駅まで伸びて、その後北側へ伸びています。中央にはその路面電車から右斜め下へ入り込む、そこに建屋らしきものを確認できます。これが車庫だったと思われます。

そのすぐ南側には、貨物線の淀川駅を確認できます。軌道交通の貨物線駅に加え、路面電車の停車場とこのあたりは鉄道関連の一大拠点だったことがわかります。淀川駅に関しては以前こちらのブログに整理しています。

1936年(昭和11年)時の航空写真

戦前の航空写真とは解像度が高いです。この写真を見れば一目瞭然。あのおかしな三角形のような場所は、都島通から入りやすい路面電車の停車場だったことが一目でわかります。

記録によると建屋は5棟から構成され、単車にして220両が収容可能だったとのことです

場所

今は大坂市立総合医療センターです。地下鉄都島駅からも歩いて5分もかからない距離ですし、市バス駅も目の前です。

今の大阪市立総合医療センターの写真

都島通(北側)から南側の大阪市立総合医療センターの全景写真。近代的な病院で、1Fにはカフェ、院内にはコンビニもあります。

病院を南東側から撮影した写真です。かつてここは市電の車庫跡でした。

都島車庫の今昔

上に戦前の地図と航空写真を掲載しましたが、都島の車庫は1969年(昭和44年)にその役目を終えます。その変遷を地図や航空写真でも追いかけてみたいと思います。

1945-50年(昭和20-25年)時の航空写真

戦後の爪痕を残しています。1945年6月1日の空襲で、都島車庫は焼け落ちてしまったようです。また周囲の建屋の多くは焼けてしまっています。戦後に関係者の尽力により、翌年の46年には復旧したようですが、車庫としての建坪は半減になったとのことです。かつて220両もの車両を停車させることができましたが、戦後にはその役割が半減したのでしょうね。

1954-56年(昭和29-31年)時の地図

1961-64年(昭和36-39年)時の航空写真

心なしか建屋が縮小しているような気がします。航空写真だと都島通に対して台形のようになっている地形がよくわかります。東側の一部を切り取ればたしかに三角形ですが、全体を俯瞰するとなぜ奇妙な地境になっていたかがわからためてわかります。

1967-70年(昭和42-45年)時の地図

その後大阪市電は縮小、部分的に路線が廃止され、車庫の役割が薄れていきます。都島車庫の建屋や車両は別の地域の車両への移築、引っ越しが進み、1969年(昭和44年)4月1日、梅田善源寺町線(阪急東口・都島本通間)の廃止に伴い、都島車庫の役目が終わりました。

市電の最後の年、1969年(昭和44年)に発行された地図には、車庫の前にも市電ができていることを確認できます。

1974-78年(昭和49-53年)時の航空写真

1969年に役目を終えてから建屋が解体されています。市電廃止跡しばらくは、保存車を収容した車庫が残っていましたが、その後保存車が森之宮車両工場に移送されると、車庫は解体され、地下鉄谷町線延長工事の資材置き場などとして利用されました。一方、JRの西南側にある淀川駅車庫は未だ健在です。

1979-83年(昭和54-57年)時の航空写真

この頃になると、何やらグラウンドらしきものが見えます。それから広い駐車場のようにもみえます。

1984-86年(昭和59-61年)時の航空写真

グラウンドは健在です。駐車場にように見えた都島通に近い跡地は、大阪市営バスの操車場として一時的に再利用されていたようです。この頃になると、隣の淀川駅も役目を終え、建屋や路線の撤去が進んでいるように見えます。

1989年(平成元年)6月より着工。1993年12月開院

その後1989年6月より、市制100周年記念事業に「市立医療機関の体系的整備」の目論見のもと、同月に可決された総合医療センターの設置をもりこんだ「大阪市市民病院事業の設置等に関する条例の一部を改正する条例」に基づき、総合医療センター建設工事が着工します。その後、1993年12月に開院して今日にいたっています。

W236氏による撮影

最後に

この近くを自転車で徘徊した際、とりわけ東側の三角形の頂点のように東へ尖ったような地形が以前から気になっていました。貨物専用の淀川駅のことを調べた際には気が付かなかったのですが、同じ軌道交通であっても、なんと大阪市電の車庫だったことがわかったのは嬉しかったです。今は病院ですが、敷地内にかつて大阪市電の車庫だったことがわかる遺構か何かが残っているかどうか、もし今後機会があれば探してみたいと思います。

グラウンド、地下鉄の資材置き場、駐車場、市バスの操車場など、病院が建設されるまでに間にいくつかの一時的な役割を果たしてきた中で、かつての車庫としての遺構が、地境以外にどのような形で残っているのか、また楽しみが増えました。

当時の都島車庫場の写真をお探しの方は、「都島車庫」と検索してもらえれば、車庫にぎっしりと停車している都島車庫の在りし日の写真、車庫周辺の写真をWeb上でも多く確認できるかと思います。

私も掲載したいですが、許可をいただくための申し入れなどがあるので、まずは一旦私が調べることができた範囲内のみ先行して公開しておこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献

大阪市電都島車庫 – Wikipedia

大阪市立総合医療センター – Wikipedia

国土地理院の過去の地図・写真等

大阪市電の都島車庫
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