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地図

史跡・歴史カテゴリ下の地図に関するサブカテゴリです。

  • 2024-01-28
  • 2024-01-29

トヨクニハウス 戦火も耐え抜いた 大阪 都島のRC構造の集合住宅

大阪市都島区、谷町線都島駅を最寄りとして徒歩10分ほどのところに、日本でも最も古いRC構造(コンクリート構造)の集合住宅では筆頭クラスの建屋があります。その名はトヨクニハウス。過去の地図や航空写真からトヨクニハウスが見てきた当時の歴史を振り返りつつ、今のトヨクニハウスについて整理していきたいと思いま […]

  • 2023-03-12
  • 2023-03-12

大阪市城東区蒲生4界隈の煙突

蒲生4丁目、国道として大阪市内の主要幹線道路の渋滞規模の観測地点でも名前があがり、また地下鉄の長堀鶴見緑地線、今里筋線の結節点でもあり、蒲生町内には都市計画の大きな流れに乗らず、細く狭い路地、狭隘な生活道路がひしめくなか、魅力的なお店がポツポツあります。基本的には住宅街ですが、古い建屋、神社等、足を […]

  • 2023-03-11
  • 2023-03-12

今も活きる大阪天満の赤レンガ建屋群

大阪環状線外回り、大阪駅から京橋方面に向かう際、最初の駅は天満駅となります。天満駅を出発すると大川(旧淀川)を渡って、桜ノ宮駅そして京橋駅へとつながるわけですが、天満駅を出て桜ノ宮駅へいくまでの大川を渡る前の左側(方角でいうと北側)に赤レンガの建屋群を何棟も確認できます。こちらの建屋について整理して […]

  • 2022-12-11
  • 2023-11-25

森ノ宮UR公団内の大阪砲兵工廠跡の石碑と今昔地図

大阪砲兵工廠とは 大阪砲兵工廠の場所と広さについて 最終時は大阪陸軍造兵廠と呼ばれ、今の大阪城の東外堀から、大阪城公園の東側、森ノ宮のほどんどを占め、北側のOBPなども含めて、アジア最大の軍需工場でした。 日本の文明開化に伴って、当時は富国強兵政策のもと、1870年(明治3年)に早々と造兵司設置が設 […]

  • 2022-12-10
  • 2024-01-07

京街道沿いを流れていた内代井路に架かっていた榎並橋

大阪から京への街道、京街道。古地図を紐解くと京街道の大阪市エリアは水路と並行している場所が多くあり、それぞれ川や水路の名前は違えど、街道沿いに水路があったというべきか、水路沿いに街道があったというべきか迷うくらい水路と並行しています。地下鉄でいうところの野江内代駅界隈から関目にかけて伸びていた内代井 […]

  • 2022-11-27
  • 2022-12-10

千間川:城東区と東成区の境。~緑橋・深江橋の駅名由来~

大阪市内で細長い公園、周辺と比べてやたらと幅員ある道路、もしくは歩道をみかけると非常に高い確率でそこがかつて川、もしくは水路、或いは鉄道だった可能性が高いです。大阪域内は水運や工業用・農業用にわたって豊臣秀吉公が統治した時代から天下泰平の江戸時代から、さらには明治時代にかけても多くの水路が開削されま […]

  • 2022-11-26
  • 2022-11-27

天満堀川にかかっていた夫婦橋の遺構(親柱2本)

大阪市北区樋ノ口町の大川から天満を抜けて天神橋と難波橋の地域(今の菅原町)まで水路だった天満堀川、その中間地域にあり日本一長い商店街である天満商店街の天神橋三丁目と四丁目を流れていました。かつては夫婦橋(ふうふばし)という名の橋がかかっていました。1960年代以降の都市高速建設時に天満堀川は埋め立て […]

  • 2022-11-23
  • 2023-03-11

大阪環状線の大阪鉄道時代の遺構橋梁-OBP

大阪環状線の東側部分は、かつて大阪鉄道が1895年(明治28年)に天王寺から梅田(大阪駅の近く)まで開通させたものです。当時は城東線と呼ばれていました。その後に関西を代表するヤンチャな私鉄、「関西鉄道」に大阪鉄道は買収され、関西鉄道が梅田駅を当時の官営鉄道の大阪駅と統合しました。天王寺から玉造、森ノ […]

  • 2022-11-20
  • 2022-11-20

都島駅南にある道路の勾配の謎に迫る

大阪市営谷町線の都島駅から南の京橋方面へ向かう道路は、ゆるやかな曲線のカーブが2回あり、かつ周辺地域の平坦なのに対して、道路に勾配があります。道路を車や自転車で通ると、その不自然な道路構造を感じます。古地図を紐解いて、なぜちょっとおかしな線形になっているのか、なぜ勾配があるのか、を調べてみました。 […]

  • 2022-11-19
  • 2023-02-23

大坂の江戸時代の公儀橋スペック(6橋)-古地図から

江戸時代、大坂は八百八橋、と形容されるほど川の多い都市でした。ただ、実際には橋の数は江戸のほうが多かったようですが、当時の大坂域内での単位面積あたりの橋は決して少ないものではなかったと思います。その中で、お上の投資、いわゆる江戸時代の幕府によって架けられた橋は「公儀橋」と呼ばれ、大坂域内には12の公 […]