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史跡・歴史

史跡や歴史に関連するカテゴリです。

  • 2022-11-27
  • 2022-11-30

千間川:城東区と東成区の境。~緑橋・深江橋の駅名由来~

大阪市内で細長い公園、周辺と比べてやたらと幅員ある道路、もしくは歩道をみかけると非常に高い確率でそこがかつて川、もしくは水路、或いは鉄道だった可能性が高いです。大阪域内は水運や工業用・農業用にわたって豊臣秀吉公が統治した時代から天下泰平の江戸時代から、さらには明治時代にかけても多くの水路が開削されま […]

  • 2022-11-26
  • 2022-11-27

天満堀川にかかっていた夫婦橋の遺構(親柱2本)

大阪市北区樋ノ口町の大川から天満を抜けて天神橋と難波橋の地域(今の菅原町)まで水路だった天満堀川、その中間地域にあり日本一長い商店街である天満商店街の天神橋三丁目と四丁目を流れていました。かつては夫婦橋(ふうふばし)という名の橋がかかっていました。1960年代以降の都市高速建設時に天満堀川は埋め立て […]

  • 2022-11-23
  • 2022-11-23

大阪環状線の大阪鉄道時代の遺構橋梁-OBP

大阪環状線の東側部分は、かつて大阪鉄道が1895年(明治28年)に天王寺から梅田(大阪駅の近く)まで開通させたものです。当時は城東線と呼ばれていました。その後に関西を代表するヤンチャな私鉄、「関西鉄道」に大阪鉄道は買収され、関西鉄道が梅田駅を当時の官営鉄道の大阪駅と統合しました。天王寺から玉造、森ノ […]

  • 2022-11-20
  • 2022-11-20

都島駅南にある道路の勾配の謎に迫る

大阪市営谷町線の都島駅から南の京橋方面へ向かう道路は、ゆるやかな曲線のカーブが2回あり、かつ周辺地域の平坦なのに対して、道路に勾配があります。道路を車や自転車で通ると、その不自然な道路構造を感じます。古地図を紐解いて、なぜちょっとおかしな線形になっているのか、なぜ勾配があるのか、を調べてみました。 […]

  • 2022-11-19
  • 2022-11-19

大坂の江戸時代の公儀橋スペック(6橋)-古地図から

江戸時代、大坂は八百八橋、と形容されるほど川の多い都市でした。ただ、実際には橋の数は江戸のほうが多かったようですが、当時の大坂域内での単位面積あたりの橋は決して少ないものではなかったと思います。その中で、お上の投資、いわゆる江戸時代の幕府によって架けられた橋は「公儀橋」と呼ばれ、大坂域内には12の公 […]

  • 2022-11-06
  • 2022-11-19

榎並川と都島本通手前にあった京街道の野江橋

今の都島区と城東区を区の境となっているのは、かつて榎並川が流れていた部分であり、今は道路となっています。京橋界隈の鯰江川から北上し、都島本通から北西方面へ続いていました。城東区野江三丁目界隈にはこの榎並川を跨ぐ橋があったようでして、それに関する文献や史跡を探してきましたが、この度それらに関する文章と […]

  • 2022-11-05
  • 2022-11-27

鴫野西にあった鐘淵(鐘紡)運河の遺構を探る

前回、大阪市城東区のに鴫野西には鐘淵工場の広大な敷地があり、寝屋川から「h」型の運河が開削されたて時代を古地図ベースで確認しました。今回、当地での遺構がないかを調べ、かつて運河にかかっていたであろう橋の親柱を確認することができました。近代に開削された運河、曲がり角は広い用地になっており、その曲がり角 […]

  • 2022-10-30
  • 2022-11-19

「h」型の運河の跡を探る

近代的な高層ビルがある京橋駅の南西方面にある大阪ビジネスパークこと、OBP。かつては陸軍砲兵工廠があった場所です。一方、京橋駅の南東方面、OBPの東側にある環状線のさらに東側、あるいは学研都市線の鴫野駅の西側には多くの集合住宅が林立しています。これだけの広い地域を確保できた背景には、工場か何かがあっ […]

  • 2022-08-16
  • 2022-08-16

大川から樋之口町-天満を経て堂島川まで繋がっていた天満堀川(大阪市北区)

大阪府北区、大川沿いの西側に「樋之口町」という地名があります。すでに樋門や導水した川を確認することはできませんが、名前を聞くだけで、ははーん、ここはかつて大川からの樋門があった場所に違いないと思って、地名をキーワード検索してみると、別のアングラなネタばかりがヒットし、なかなか探していた情報にたどり着 […]

  • 2022-07-02
  • 2022-11-27

鯰江川へ合流する井路

はじめに、今回の記事に関連する情報について振り返りたいと思います。大阪は京橋駅南の高低差については、かつて流れていて今は廃川となって埋め立てられた鯰江川の堤防であり、かつその堤防は、大和街道(一部、古堤街道、野崎街道とも呼ばれます)である点について整理しました。前回のブログはこちらです。 そして、そ […]