赤川鉄橋:90年後に複線化

赤川鉄橋 正式には城東貨物線淀川橋梁と 言いますが、地元では赤川鉄橋と 呼ばれています。長さは約600mです。今は「おおさか東線」として2019年3月に旅客化し、複線路線として開通しました。かつては単線で貨物列車の走る 鉄道橋の真横を木橋の人道橋が 通り、生活上とても便利かつ自転車にも大変人気のスポットだったようです。 この赤川鉄橋、建設されてから実に90年ぶりに複線化路線となりました。建設当初は鉄道にありがちな事前インフラ工事により、橋は複線を見込んで建設されましたが、約1世紀近く貨物列車だけの単線でした。鉄道橋でありかつ人道橋であった赤川橋について整理してみました。加えて赤川鉄橋から先、新大阪まで新しく敷設された架橋や路線状況を写真におさめました。

場所

大阪市の都島区と東淀川区を隔てる淀川を跨ぐ橋です。以下の地図の赤線部が赤川鉄橋です。ちなみに、「おおさか東線」はピンク色破線です。

新大阪からJR京都線沿いに走り、神崎川を渡ったら右側へ円弧上へ曲がっていきます。「おおさか東線」開通に伴って開設された新駅の「南吹田」駅を経由し、なんと再度神崎川を渡ります。その後、新駅の「JR淡路」駅をこえて、やっと淀川を渡ります。この橋こそ、鉄道と人や自転車が肉薄していた鉄道橋兼人道橋でもあった赤川鉄橋です。

赤川鉄橋の歴史

1925年(大正14年)に城東貨物線の着工がはじまり、橋は1929年(昭和4年)3月に吹田操車場~放出区間が開通しました。貨物だけでなく客車の運行については1952年(昭和27年)にすでに城東貨物線客車運行促進同盟会が結成されていました。その後、旅客化したのは2019年3月と、非常に長い年月がかかっています。

1934年(昭和9年)時の地図

左の地図は未加工です。右側の地図には、城東貨物線部を黄色線、旅客化に伴って「おおさか東線」となった部分を赤色線としています。当初は吹田方面の路線だけでした。

1936年(昭和11年)時の航空写真

都島区側の黒塗り部を1934年の地図で確認すると工場だったことがわかります。(工場マーク)それから左側部分は「大阪市浄水場」の文字を確認できます。赤川鉄橋までマスクしたのは、貨物路線として重要な橋梁だったからでしょうか?しかし、黒塗りされたところ=重要な場所と、すぐわかりそうなものではありますが。。。今の技術なら画像処理でなんぼでも消去や偽装ができますけどね。

2013年(平成25年)10月31日(木)人道橋閉鎖

2013年10月 廃止が決定し、多くの鉄道ファンが訪れる Wikipediaより

直近地図(Google Mapより)

2019年3月に旅客化されています。ただ今でも貨物列車が通る本数こそ限られていますが、幸運な時は 貨物列車を見かけることができます。

赤川鉄橋を超えて、さらに神崎川を跨いでJR京都線につながるエリアの地図です。

旅客化に伴い、城東貨物線とJR京都線をつなげるために、ぐいっと円弧上に新規高架を建設したことがわかります。左側は一般的なGoogleマップです。旅客化路線のみ鉄道のようになっていますが、航空写真上では吹田まで繋がる貨物路線を確認できます。(普通のGoogleマップ上では貨物線は徒歩や自転車や車でも使いようがないので、外しているのでしょうね。)

人道橋としてはいつから?

これについては、具体的にいつからかを確認できる文献を現時点で見つけることができませんでした。先行して貨物線として橋がかけられましたが、複線分あり、実際には橋幅の半分しか使っていないことにより、「人も通れるようにしてほしい」と住民から陳情があったのかと思います。実際にこの人道橋部は当時の大阪市が国鉄から借り、橋を整備・保守したようです。

赤川鉄橋の人道橋部が廃止される2013年時、大阪市は市のHPで、以下のような記述をしています。

大阪市では、赤川仮橋を平成30年度末開業予定の「おおさか東線」の整備により、平成25年10月31日木曜日24時に閉鎖しました。

 80数年間にわたりみなさまにご利用いただきましたが、今後は、上流側にある菅原城北大橋をご利用いただきますようよろしくお願いします。

当時の大阪市建設局道路部橋梁課 HPより

市のHPでは、「赤川仮橋」という名前で紹介されていたようです。この「80数年間」が鉄道開通からカウントすべきか、人道橋としての「赤川仮橋」ができてからカウントすべきかは微妙なところですが、「赤川仮橋」として国鉄から橋梁一部を借りてインフラを提供してきた市のHPにあるので、おそらく赤川鉄橋ができた1929年の後、1年2年くらいで大阪市が人道橋として市民に淀川を渡る橋として整備したものと思われます。

赤川仮橋閉鎖に伴う市のHPに掲載されていた写真

写真・動画

かつては貨物列車と歩道が肉薄

2008年11月年時 Wikipediaより

手すり、橋板が木製のようですね。最寄りで色んな機関車と貨物車を見ることができたことでしょう。鉄道マニアやちびっこは大喜びだったでしょうね。

リアルに貨物列車が通過している動画をYoutubeにアップされている方がいました。人道橋からせり出し、ぎりぎりのところで動画撮影されているようです。(ちょっと危ないです。。。)

赤川鉄橋
赤川鉄橋 | luis.jp – 大阪市の北区をグルグルめぐるブログZ さんサイトより

その後、木製の橋板が老朽化し、張り替えられたようです。ただ、このころにはすでに人道橋の廃止カウントダウンが始まっているころだったと思います。

今は「おおさか東線」として

始発駅の新大阪駅ホームより

管理人が新大阪方面へ向かう際、撮影した写真です。もともと管理人は、いわゆる「てっちゃん」や「撮り鉄」と呼ばれる類の趣味は持ち合わせていませんでした。ただ、今の赤川鉄橋を運転士さん目線、最新の高架を撮影するために先頭車両に乗り、カメラを構えて赤川鉄橋や神崎川架橋を撮影していた私は、鉄道撮影趣味に不寛容な方が、「あぁ、ここにもアホな鉄オタがいるな、何が楽しいんやろ、キモッ」と思われたのかなぁと0.5秒ほど頭をよぎりましたが、「迷惑をかけない」「ルールを守る」に徹して個人の興味範囲ということで堂々ととりました。

赤川鉄橋。南から北へ向かう

Wikipediaに掲載されている橋の写真は真っ白です。しかし最近の2021年に撮影した際には錆のようなやや赤茶けた部分があります。橋梁は定期的に再塗装やメンテナンスがかかせないことがわかります。

JR淡路駅

新駅となる「JR淡路」駅です。新しいです。最寄りは、JRよりも早く開設された阪急の「淡路」駅があるので、おおさか東線の駅名は、駅名称に「JR」がはいる「JR淡路」駅です。おおさか東線には同じ理由で、駅名にJRを冠する駅がしばしばあります。詳細は以下ブログでまとめています。

高架のおおさか東線をさらに跨ぐトラス鉄橋は現在建設中の阪急京都線です。阪急千里線も同時に高架しており、ビルの高さ4階、5階にも匹敵する高さとなる見込みです。

神崎川手前での貨物線分岐

神崎川から新大阪方面へ曲がる橋梁がおおさか東線開通に伴って開通した橋梁です。グレーのトラス橋です。一方、右側へ伸びる路線は時折貨物路線が利用する吹田方面へ使う路線です。

南吹田駅まで

トラス橋をぐい~と周りつつ南吹田駅です。南吹田駅も曲がっています。

JR京都線を跨いで合流

南吹田駅を出た後も高架状態を維持しつつ、JR京都線を跨ぎ、高架を下りその西側へ合流します。そしてまた神崎川をこえます。

幅広いJR京都線を跨ぎ、西側へ降りていくのは先頭車両から眺めているとかなり楽しいものです。「おお~」と思わず声が出そうになりました。単純に移動の手段として1年くらい乗っているときはこうしたことを全く感じずに「ただ乗っている」だけでしたが、新しい気づきを得ることができました。

最後に

鉄道や道路などのインフラは将来の拡張を見越して、複線分の用地確保や架橋なども新たにかけるコストを集約する意味でも複線分で建設することがあるかと思います。92年前に、赤川鉄橋を設計した鉄道省関係者や実際にリアルに工事に携わった方々で存命の方はおられないと思います。もし10代後半で工事に携わった方が存命だとしても、2021年現在だと110歳前後。おそらく当時の工事を知っていた方で存命の方はだれもいないことでしょう。はじめて橋が貨物路線として機能しはじめた1929年から実に数えて90年、2019年に旅客路線として当初通りの複線となった今日のおおさか東線を見たらきっと。「やっと複線になったか」安堵の笑みをされているでしょうか。きっと天国から今日の赤川鉄橋を見て微笑んでくれていると信じたいです。

1952年に城東貨物線客車運行促進同盟会を結成し、旅客化に向けてご尽力された方々のなかで当時若かった方が、90歳代でかろうじて存命しているのかもしれません。結成から70年近くになろうとしていますが、まさに本懐を遂げる思いだったことでしょう。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

参考情報

淀川橋梁 (おおさか東線) – Wikipedia

赤川鉄橋 | luis.jp – 大阪市の北区をグルグルめぐるブログZ

大阪市市政 赤川仮橋(あかがわかりばし) (ndl.go.jp)

90年度に複線化した赤川鉄橋
最新情報をチェックしよう!