環状線:京橋から桜ノ宮間の井路川4本目

もともと、大阪市の都島区・城東区・旭区界隈にあった、農業用の水路としての井路川(いじがわ)、榎並川、鯰江川など、すでに埋め立てられた跡地や遺構を巡って、散歩がてらあちこち調べてきたことが始まりですが、JR環状線の京橋から桜ノ宮間をまたぐ4本目の井路川について、歴史の変遷を確認できる当地の遺構も含めて紹介させていただきます。

場所

まず場所についてです。JR環状線の桜ノ宮駅と京橋駅の間にあり、桜ノ宮駅東口から徒歩3分の場所です。

あるいは大阪地下鉄 谷町線の都島駅の1番出口から徒歩9分です。

京橋駅(地下鉄、JR、京阪によって若干異なりますが)からはどんなに早くいっても15分くらいかかるので、桜ノ宮駅からのほうが近いです。

戦後に道路として環状線を横切る道路は複数ありますが、今回の井路川をまたぐ橋もかつての井路のサイズになっているので、自動車1台くらいの車幅となっています。

古地図との比較

1910年(明治44年):国土地理院地図(白黒)

いつもよく使う国土地理院の1910年(明治44年)の地図と、最新の国土地理院の地図を重ねわせた地図が以下です。左端の「★今回対象」部が今回のブログ対象です。過去のブログで取り扱ってきたその他の井路川もありますね。振り返れば、鉄道と交差する井路川系記事は「筋遺井戸架道橋」を皮切りに、「ムグラ池架道橋」、前回の京橋駅~桜ノ宮駅間の3本目の井路を跨ぐ架道橋として整理した「菜麦原架道橋」などの過去の記事もあります。

右側には、城東区と都島区の南側での区界となっている榎並川についても、本ブログでも扱ってので、プロットしています。榎並川の関する記事はこちらです。

1911年(明治45年):「實地踏測大阪市街全圖」より (實→実、圖→図)

前回も使ったこちらの地図でも確認してみます。旧字体がありますが、読み方としては「ジッチ トウソク オオサカ シガイ ゼンズ」です。こちらの地図は、「日本国際文化研究センター」が所蔵しているデータ使用を申請した上で使用させてもらっています。

この地図からも鉄道の下を流れる井路川に対して、架道橋がかかっていたかどうかを把握することができます。

1935年(昭和10年)年時:国土地理院地図(白黒)

昭和に入ると、桜ノ宮駅周りも多くの建屋を確認することができ、井路の確認が困難です。桜ノ宮駅北側が淀川貨物駅であることが確認できる点と、京橋駅近くにはかつての大阪帝国大学工学部を確認できます。地図上では右側から、「工業大學」と記述されています。

1936年(昭和11年)年時:航空写真

では航空写真を見てみましょう。今回の架道橋の場所がわかりやすいよう、現代の地図とのレイヤー構造としました。赤枠部が今回の架道橋部であり、かつて井路が巡っていた部分ですが、すでに昭和11年の段階では周辺が宅地されており、井路が埋め立てられていることがわかります。

当地の写真

南側から北側へ向けての写真。橋を抜けると、東側へすぐ曲がります。

架道橋名:「長州架道橋」 しゅん工:大正3年3月(1914年3月)-推測

管理人は2回訪問していますが、いずれも架道橋名を確認するプレートを発見できませんでした。調べたところ、「長州架道橋」とのことでした。城東線(今の環状線)ができたタイミング含めて、その他の井路を跨ぐ架道橋と同様、しゅん工は大正3年3月(1914年3月)だとも思われます。

橋台部

これまで東側の井路を跨ぐ架道橋を支える橋台と比較して、こちらの橋台の煉瓦部はかなり高いところまで積まれています。おそらく西にある大川(旧淀川)を跨ぐため、徐々に高くしていったものと思われます。

城東線を最初に建設したのは、「大阪鉄道」1895年(明治28年)10月17日 玉造駅-梅田駅間を開業させ、その後1896年(明治29年)4月27日に桜ノ宮駅が開業しました。

その後、大阪鉄道は官営鉄道を相手に、大阪-名古屋間の旅客輸送で熾烈な争いをする関西鉄道に譲渡され、関西鉄度もまた1907年に国営化され、その後1914年(大正3年) 鉄道省は城東線の高架化に向けた工事を進めていきます。もともとの関西鉄道時に盛り土による築堤や井路川を跨ぐ架道橋などありましたが、その架道橋の橋台(煉瓦部)の上にコンクリートを積み増して、さらに高架化していったのは、これまでの井路川を跨ぐ橋台でも同様でした。

ただ、一つ東側の菜麦原架道橋(下の写真では左側)と比較して、煉瓦部の高さには違いがあります。

床石

北側から南側を撮影したものです。床石もかなり高いところにあることがわかり、ここでは床石(キーストーン)が橋台を跨ぐコンクリート支える構造になっています。

おわりに

環状線の京橋駅から桜ノ宮駅間からの井路川を跨ぐ100年以上も前に建設された橋台の記事としては、本記事で4件目となりました。桜ノ宮駅のほうが近いところまで来ましたが、引き続き付帯する関連ネタなどを盛り込んだ記事を出していきたいと思います。次回は、京橋駅から桜ノ宮駅間にあった関西鉄道時代に建設されたもう一つの駅、網島駅への分岐部の遺構なども踏まえた記事を記述する予定です。

城東線(今の環状線)と関西鉄道の桜ノ宮駅から網島駅への線、それぞれが複線だとしたら4路線ある橋台の遺構となります。

ちなみにかつて整理した網島駅に関する記事はこちらです。

100年以上も前に積み上げられた煉瓦の橋台、できる限りそのままの姿で後世に残していただければ、と願いつつも、白いペンキが塗られているのは非常にもったいなく思います。それなりの理由があるのかもしれませんが、今も生きて運用されているインフラですので、安全第一の管理になろうかと思いますが、一方で文化財としての維持・保全も並行してしていただければ、と願うばかりです。

4本目の記事となってくると、井路の記事なのか、はたまた橋台に関する記事なのか、どちらが主役なのか難しくなってきました。管理人としては主、従、関係なくどれもメインだと感じています。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

参考情報

實地踏測大阪市街全圖|所蔵地図データベース (nichibun.ac.jp)

井路を跨ぐ環状線の長州架道橋
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