京阪本線旧線の旧野江駅界隈の今昔

大阪市城東区と都島区の区の境になっている都島通。谷町線の野江内代駅から高殿に向かっていくと緑のアーケードでおおわれている野江国道筋商店街を左手にみることができます。その反対側に、かつて旧京阪本線が走り、その脇には旧野江駅がありました。当地の現状と古地図を確認した内容を整理してみました。

場所

地下鉄谷町線の野江内代駅が最寄りです。都島通に歩いてすぐです。また最寄りのJRのおおさか東線のJR野江駅もしくは現在の京阪本線の野江駅からもまぁまぁ歩ける距離です。

旧野江駅の現状

右側が都島通です。この都島通を少し先にいった交差点あたりに地下鉄谷町線の野江内代駅があります。左側がかつて京阪本線の旧線が京橋方面に向かって真っーすぐ伸びていました。写真中央のベンチが置かれている辺りがかつて旧野江駅があった場所だと思われます。その周りを見回しても当時の遺構とわかるものは今は確認できません。なぜなら廃駅になってから90年近くも経っているからです。

京阪本線の経緯

京阪本線開通から戦前くらいまでの経緯は以下の通りです。結論から申し上げると、1910年 (明治43年) 4月15日に旧野江駅は開業し、 1931年(昭和6年)10月14日 に旧野江駅は廃止されました。

年(元号)月日内容
1906年(明治39年)8月25日京都 – 大阪間の軌道敷設の特許を取得。
1908年(明治41年)9月30日建設工事発注、10月より4工区に分けて随時着工
1910年(明治43年)3月天満橋駅 – 五条駅(現在の清水五条駅)間の軌道敷設完了。
1910年(明治43年)4月15日天満橋駅 – 五条駅(現在の清水五条駅)間が開業。
1931年(昭和6年)10月14日蒲生駅(現在の京橋駅)- 守口駅(現在の守口市駅)間を直線化し専用軌道化。
現在の野江駅 – 土居駅付近が高架化。
野江駅・関目駅・新森小路駅・森小路駅・滝井駅開業。
旧線の野江駅・森小路駅廃止。
1931年(昭和6年)12月28日森小路駅を森小路千林駅に改称。
1932年(昭和7年)2月10日蒲生駅を城東線京橋駅近くに移転。
1932年(昭和7年)6月14日土居駅が開業
1933年(昭和8年)12月29日蒲生信号所 – 守口駅間複々線化。当時私鉄最長。

1932年の蒲生駅駅(今の京阪本線の京橋駅の前身)が城東線(今のJR環状線)最寄りに引っ越した際の経緯については、こちらの記事を参考にしてください。

旧京阪本線の路線図と現在路線図との比較

最新地図に赤線で旧京阪本線をトレースし、旧駅(廃止駅含め)をプロットしてみました。青線は今の京阪本線です。

旧線は、京街道と近いところに路線がひかれていたようですね。京橋を出てから真っすぐとなっている現在の路線と比べて曲線が多いです。

旧野江駅も旧関目駅も今の路線と比べて西側にあったことがわかります。旧野江駅からは高殿方面へ今の都島通沿いに走り、関目神社あたりに旧関目駅があったものと思われます。

同様に、1912年(明治44年)に発行された地図と今の地図をレイヤー構造にしたものが以下の地図です。この地図には旧京阪本線も確認できますが、見難いので旧京阪本線を赤線、現在の京阪本線を青線として、上の地図同様にトレースしました。

旧野江駅界隈の古地図との比較

左側は1908年(明治41年)に測図され、1912年(明治44年)に発行された地図です。右側は現在の地図です。かつての旧本線が建屋がある地域最寄りに駅を配置しています。

左側地図の黒い線や水路(井路)、黒い部分は池だった部分です。旧野江駅の南側のやや大きな池はかつてバラバラにされた女性の遺体が遺棄された場所で当時はバラバラ殺人事件として大きなニュースになったようです。

地図上の駅名の表記について

左側地図の中央左に、かつての野江駅を確認できる縦の長方形と なんだか「ひ」逆さまにしたのような字と、「の」を確認できます。

昔は、右読みだったことを考えると、漢字では「野江」と書くべきですが、「の」の文字を小さいサイズにした場合、画数が多いのか読解性が下がる理由から、ひらがなとし、「江」は旧字体でかかれていると思われます。

「江」を旧字体で書く表記は、京橋駅界隈を流れていた鯰江川の昔の地図でも確認できます。

いっそ「え」もひらがなにすれば良いと今を生きる私達は考えてしまいます。しかし、明治時代は今の「え」は「ゑ」と記述されていたことから、これも小さい字となると読み難いのか、「江」は漢字の旧字体で書かれたのかなと思っています。

今の地名の野江や成育エリアはかつては「榎並村」に含まれていたようです。地図の左側に京街道沿いに流れる榎並川も確認できます。榎並川については、こちらも参照ください。

最後に

この道、かつて鉄道路線がひかれ、蒸気機関車が走っていたのか、かつてこのあたりには駅があって賑わっていたのか、と日々使う道路をまた別の観点で振り返ることができました。ひょっとして野江国道筋商店街は駅最寄りの商店街が発祥だったのではないか、と考えると野江内代駅から若干離れたところにいきなり商店街が出てくる理由に合理性が出てきます。現段階ではあくまでも私の推測に過ぎませんが、野江国道筋商店街界隈については継続して調べていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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