せせらぎ水路となった御領の井路

井路(いじ)と呼ばれた農村地帯の水路がその役目を終えて、現代ではせせらぎ水路として地域の方に潤いと安らぎを提供している場所があります。大阪府大東市の御領(ごりょう)と呼ばれる地域の一画に行政・地域の方の尽力ににより、今はせせらぎ水路として当初の目的を変えて当時の姿をわずかばか残しています。かつて農村地域だったころには縦横に数多くの井路があったのですが、今や本当にわずか一筋の流れに留まっていますが、井路にかけられた橋、神社、周辺の家並みなど雰囲気が感じられます。

場所

鉄道・バスも含めた公共交通機関だけでいくには、タイミングが必要です。

最寄り駅:JR東西線・学研都市線 住道駅

JRの住道駅の北側のバス停にて、大東市コミュニティバスの「三箇方面コース(Bコース)」に乗車いただき、6分から8分ほど乗っていただき「御領東」で降りて徒歩7分です。住道駅からコミュニティバスのバス停までの行き方が少し難しいので、整理しました。

1,住道駅二階中央出口を出ます。

2,ペデストリアンデックで、北側を流れる川(寝屋川)をわたります。

3,駅を背にして左側のスロープを降ります。

4,不動産や、「ピタットハウス」の前に、雨除けのある場所が、大東市コミュニティバスの住道駅前(北)のバス停となります。

Google mapより

バス停の位置を地図上でプロットするとここになります。

バスに乗ったら、4つ目のバス停、「御領東」で降りてください。

大東市のHPより「大東市コミュニティバスの各コース」

2021年4月時点では、毎時間1本、朝夕には2,3本走っています。住道駅前(北)の平日・土日祝の時刻表は以下の通りです。(大東市コミュニティバスのページからのペーストなります。)時刻表ページ末尾に大東市コミュニティバスのHPのリンクを張り付けておくので、最新時刻表をご確認された後にご利用いただければよいかと思います。

住道駅から徒歩だと、25分から30分ほどかかります。春や秋であれば、歩けなくてもないですが、夏や冬はつらいかと思いますので、大東市のコミュニティバスをご利用いただくのが良いかと思います。

最寄り駅:地下鉄長堀鶴見緑地線 門真南駅

お勧めはできませんが、門真南駅から歩く方法もあります。距離にすると、2.3km。約30分ほどでしょうか。ひたすら東へ向かってあるきます。その道中にはかつての井路がまるで時代に取り残さされてわずかばかり残っている地域もありますが、よほど時間がある方でないとお勧めできないので、公共交通機関ご利用の方は住道からをお勧めします。

御領のせせらぎ水路

地域の方の保全活動、清掃などによって保たれています。管理人が訪問したタイミングは春の桜が満開だったタイミングもあって、井路に覆いかぶさるような桜がとても綺麗でした。水路は、神社と古くからある宅地エリアをL字のように残っています。この環境を実現し、そして維持しつづけるのは地域の方の並々ならぬ努力を感じます。

最新の航空写真より

国土地理院の最新航空写真に今に残る井路、御領せせらぎ水路を水色線を引いてみました。左上部分は、暗渠部から水を組み上げており、L字沿いに流れ、また暗渠となります。御領地区は、「大東市水路総合的利用基本計画」において「平成の水郷形成拠点」として、昔ながらの町並みを活用し歴史的空間形成に重点をおいた水郷拠点を形成するべく、水路整備が行われております。鴻池水みらいセンターの高度処理水は「水郷のまち御領」の復活のための水質改善・修景用水に利用されており、御領水路はしっかり処理された処理水を放水しています。

かつての井路は近隣の大小の河川から水を引いていましたが、今残るこちらの御領せせらぎ水路は、現代の技術によって異なる水元となっています。

周辺井路写真

周辺井路の写真です。場所に川幅が広い・狭いあります。周辺には田んぼや畑はすでにありませんが、住宅街をしずかに流れる井路を確認できます。井路にかかる一部の橋は木製だったりと、景観への配慮もうかがえます。

これからの写真がどのあたりの写真かを整理するため、3つの区域に分けました。

湧き出し口・せせらぎ音エリア

暗渠を流れる浄水された水を組み上げ、若干高いところから水が湧き出しているかのようにしています。ここから南へ水が流れていきます。

湧き出し口からは水が流れて落ちてきます。ここはまさにリアルに水のせせらぎ音が聞こえ、とても心地よいです。川幅も広くないので、水が流れていることを確認でき、また水草をも確認できます。下の写真は南から北に向けて湧き出し口を撮影したものです。

その後、小さな歩道沿いに水が流れています。私が訪問した時はこの辺りから鯉が泳いでいるのを確認できました。すでに人に慣れているのか、管理人が歩道を歩きながら見ていると餌欲しさに寄って来るようにみえます。

菅原神社周辺エリア

菅原神社をぐるっと回るように井路があります。このあたりは若干川幅がひろくなります。桜の花びらが井路にたくさんありました。(もう少し綺麗に撮りたいところです。)この辺りから川の流れは非常にゆったりしてきます。

神社の境内と川を挟んで桜が覆いかぶさるようなエリアです。井路の水に触れることができるよう、石畳の階段もあります。

この辺りが一番川幅が広いでしょうか。「御領水路」と書かれた灯篭のようなものもあります。これは水路を守っている地元の有志の方々が設置したものと思われます。

西側を向けると、暗渠化された水路を確認できます。その先は遊歩道になっています。おそらくかつては西にも伸びる井路があったと推測できます。おおきなゴミ(万が一不当に投げ入れられても、もしくは落下物があった際)が暗渠化された水路へいかないよう、ケージが張られているのを確認できます。

kかかわかわはあbかわはあか

川幅を縮めつつ、御領橋のほうへ。橋の欄干は木製です。

舗装はアスファルトですが、欄干は木製で、味があります。この下を井路が流れます。

段蔵エリア

井路が人工的に開堀されたものが顕著にわかるまっすぐな水路を確認できます。水深も非常に浅いもので、このあたりは川の流れというのは、あるか・ないかくらいのものです。井路を挟んで両サイドの家並みは景観にマッチしています。

水路から蔵へ物資を運び入れるもしくは運び出す際に使っていた舟着馬です。蔵に直結しており、また蔵の高さ(土台の石積の高さが異なる)が異なる、「段蔵」形式の蔵です。淀川水域エリアに残る蔵で、大きな庄屋、名主など、地域の大きな建屋を有する昔ながらの家々にまだ残っています。こちら御領にもまだこうした蔵がある家々があります。

少し残念だったのは、階段状のところにエアコンの室外機が2つおかれてしまっているので、もったいないなとも思いました。かといって、住んでいる方の都合もありますので、勝手な押し付けはできないのです。見方を変えれば、これら蔵や家は、今も現役で使われていることがわかります。

立派な旧家、塀、段蔵を確認できます。石の土台部も高いですが、一番高い蔵のある部分は、そこからさらに高いものとなってます。

もう少し東へいくと、集合住宅があり、塀こそありますが、この部分はこれまでの景観とは若干異なります。ここにもかつては蔵があったことを伺える段々の階段があります。せめての救いが景観に配慮した塀になっている点です。

動画で巡る井路

管理人が訪問した21年4月上旬、水路の吹き出し口部分から菅原神社に向けた細長い水路に比較的鯉がたくさんいました。なるべく鯉がいる水路の雰囲気がわかるように動画撮影してみました。

動画内には、井路沿いには舟から物資を直接出入出来るような段倉(浸水を防ぐため、一番高い所に設けられた農作物や生活用具の収納庫)と呼ばれる段々差がある倉も映しています。その場所は今は埋め立てられていますが、かつてはそこもまた細い井路があったことを容易に想像できます。

段蔵とは、蔵の基礎を階段状にして氾濫に備えたものです。洪水の頻発した所、もしくは発生しやすい地域では、洪水や湿気から家を守るために敷地を盛土し、その上にさらに嵩上げした台地に蔵を建てる対策が行われてきました。

各地方で呼び方はことなり、愛知県・三重県の濃尾平野では水屋と呼ばれ、関東の利根川流域では水塚(みつか)等と呼ばれています。大阪は巨椋池周辺では「水屋」、「段倉造り」と呼ばれ、高槻や寝屋川では「段蔵」と呼ばれているようです。そこに、米、味噌や重要な家財を収納するとともに、洪水時の避難場所も兼ね、なかには座敷をもつものもあったといいます。

井路舟での水路めぐり

短い時間ですが、かつての井路を巡った井路舟(再現)にのった水路巡りを安価に楽しめることができます。4月から9月までの間、第一・第三日曜日の10時から12時までの間です。コロナ禍の中での最新状況については、地域の会長もしくは区長さんの連絡先までされたほうが良いでしょう。地元の有志の皆さんのご尽力により、当時井路を巡った雰囲気の一時を楽しむことができるかと思います。管理人もタイミングあわせてぜひ乗ってみたいと思っています。

周辺の立派な邸宅

御領地区にある邸宅はどれも立派なお宅ばかりです。古い建屋がそのまま残っているお宅もあれば、立て替えているもののこの御領地区の雰囲気を考慮した建屋にしているお宅も多いです。蔵も含めて立て替えたお宅もあり、門や塀なども歴史を感じられるようなつくりです。

国登録有形文化財 辻本家住宅

ここ御領地区に、大東市内で初めて国の重慶有形文化財として登録された辻本家住宅があります。中に入って参照することはかないませが、近くには案内板があります。

案内ボードには下記のような記述があります。

国登録有形文化財 辻本家住宅

辻本家は、かつて御領村の庄屋をつとめた家で、 当主は代々 「喜兵衛」を名乗り、村の鎮守管 原神社の社殿建立などにも深く関わりました。 平成27年、 屋敷地中央にある音家の主屋が、 「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 と評価され、 大東市で初めて国の登録有形文化財(建造物) に 登録されました。

木造平屋建 鋼板茸 (元は茅葺) の主屋は、 間口9間 (約16m) 奥行4間 (約7m) の規模で、 天保5年(1834) に建築されました。 平成24~25年に行われた改修工事により、主屋の表側(北側) は建築当初の形式にされ、裏側は現代の生活スタイルにあった住みやすい間取りに改変されま した。表側正面には上層農家だけに認められた式台(身分の高い客人用の玄関) が構えられ、内部 には広い土間と広敷 (土間に面して設けられた板の間) が、 奥には床の間を備えた人のな があります。

辻本家住宅の主屋は江戸時代後期の庄屋屋敷の特徴を伝える貴重な建物であり、産敷地北側の長 屋門や土蔵とともに、 御領地区の歴史的景観を一段と引き立たせています。

※建物は非公開となっています。 無断で立ち入ったり騒いだりしないようお願いします。 お問い合わせ先: 大東市教育委員会事務局生涯学習 TEL: 072-870-9105

平成27年9月 大東市教育委員会 

寄贈:枚方信用金庫65周年記念

案内ボードの説明文より

生活と密着していた事を伺える点

案内板

説明書きとしては以下です。

水郷の里 御領

御領村は、旧深野池堤の西側に位置し、 河内を代表する水郷地帯です。村は、都市化の波や水田を対象にした都市基盤整備の 土地区画整理事業等により大きく変化しようとしています。

標高1m50cmほどの低湿地のため、 御領村には古くから用排水路(井路) の水路が縦横に走り、 運搬手段の中心として三枚板と呼ばれる農業用田舟が活躍していました。 御領村の井路沿いには舟から物資を直接出入出来るような段倉(浸水を防ぐため、一番高い所に設けられた農作物や生活用具の収納庫)と呼ばれる蔵が機能的に建てられ、その倉が現在も見られます。

 自動車が交通の中心になっている今日、のどかな田園風景を残す水郷御領村は、都市化の波や水田を対象にした都市基盤整備の土地区画整理事業により大きく変化しようとしています。

 御領村では、 大正時代末頃より昭和 40年頃まで、稲作とともに蓮根作りが盛んでした。

 御領の文献登場は天正十二 (1584) 年 『河内国御蔵入帳」に「五里やう村」 と記されるのが最初です。

平成7年度御領遺跡発掘調査により 室町時代初頭の住居跡群が確認されています。

平成8年12月大東市教育委員会

菅原神社

親水エリアには、小さながらも遊具があり、そして日本の大きな楠がある菅原神社があります。詳しく調べ切れていないのですが、おそらく道真公に関する神社であることは家紋からも伝わってきます。

古地図から

いつもの通り、古地図からこの御領地区について整理したいと思います。今ある井路・水路以外にも多くの井路あったことは想像に容易く、地図や航空写真からもそれらを追いかけてみたいと思います。各年代同じ縮尺の地図を使っていきます。「御領水路」と吹き出しの部分が今の「御領橋」がある場所となります。

1911年(明治44年)の地図

周囲に宅地はほとんどなく、この御領地区に数えるくらいです。

1936年(昭和11年)年時の航空写真

道路よりも水路のほうを多く確認できます。今の御領橋から南へ流れる水路も確認できますし、この御領地区周りも水路だらけです。

1950年(昭和25年)時の航空写真

井路に沿って道路も確認できますが、まだまだ井路が支配的といえます。それはこの地域がまだ農村地域であることを説明できます。

1964年(昭和39年)時の航空写真

依然、井路を多く確認できます。以前の井路と比べて水量もしくは川幅が若干広く感じます。菅原神社南西側や北東に流れる井路群も川幅が広く感じます。

また、写真内にプロットしている「御領水路」の吹き出しがあるところは、いまの御領橋のあるところですが、ここから南側へ伸びる井路もこの航空写真でははっきり確認できます。今は隣の道路も含めて若干の高低差を確認することができます。

御領橋を背に南向きに撮った写真です。左側の道路と家の間はすでに埋め立てられていますが、かつての井路を想像することができます。

1978年(昭和53年)時の航空写真

もともとあった御領地区以外にも周りには宅地やら、倉庫らしき建物があります。それでもまだ田畑や井路は健在です。そしてかつてより宅地があった御領地区内にも今も残る水路から東へ伸びる肋骨のような水路を確認することができます。(この時代の写真で認識しやすくなっただけで、明治くらいからずっとあったかと思います。)

今は埋め立てられていますが、かつて井路だったことがわかる遺構ともいえる舟着用の出入り口や段倉を確認

1983年(昭和58年)時の航空写真

過去の写真と比較して、道路になった井路、そして道路の下に埋設してされた井路等、比較するとわかりやすいですが、まだまだ健在の井路もあります。

1986年(昭和63年)時の航空写真

かつての井路としての水の流れを確認できる部分はだいぶ少なりました。御領橋から東西への井路はまだはっきり確認出来ます。

最新の航空写真

田畑だった地域はほとんど宅地化、倉庫、工場用地へ変わり、井路も御領地区のL字のみの今の状態です。

最後

農村地域がその役目を終えて、宅地化や工業用地へ転用されているなかで、わずかに残った井路を官民あわせて残したいる大東市と御領地区の有志の皆さんには感謝です。役目を終えたものは時代からなくなっていくことはやむを得ないことですが、寝屋川最寄りの高度処理された水を流し、せせらぎ形成される井路として甦り、そこに鯉が放流され、今はせせらぎ水路として近隣の方、通る方に潤いを与えてくれています。

 また、近隣に残る古い家屋、塀、倉、かつての井路から農具、農産物等の搬入もしくは搬出されていく情景をお澪浮かべることができます。

 最後まで読んでいただだき、ありがとうございました。

参照ページ

大東市コミュニティバスの各コース – 大東市ホームページ (daito.lg.jp)

大阪府/鴻池水みらいセンターの下水道高度処理水利活用状況 (osaka.lg.jp)

御領せせらぎ水路 – 大東市ホームページ (daito.lg.jp)

御領 せせらぎ水路
最新情報をチェックしよう!