環状線:京橋から桜ノ宮間の井路川3本目

もともと、大阪市の都島区・城東区・旭区界隈にあった、農業用の水路としての井路川(いじがわ)、榎並川、鯰江川など、すでに埋め立てられた跡地や遺構を巡って、散歩がてらあちこち調べてきたことが始まりですが、JR環状線の京橋から桜ノ宮間をまたぐ3本目の井路川について、歴史の変遷を確認できる当地の遺構も含めて紹介させていただきます。

場所

まず場所について共有します。

最寄りは、京橋駅(地下鉄、JR、京阪によって若干異なりますが)、桜ノ宮駅、地下鉄都島駅から、いずれも徒歩10分(800mくらい)ほどです。上の図はターミナル駅の京橋駅からの経路図です。

拡大すると以下の地図です。前回調査した葎川(ムグラかわ)架道橋部との間に、2つのアンダーパスがありますが、これらは昭和初期の環状線の高さをよりかさ上げする時に建設された架道橋で昭和初期のものです。これらについてもまた別項にて取り上げます。

古地図との比較

1910年(明治44年):国土地理院地図(白黒)

いつもよく使う国土地理院の1910年(明治44年)の地図と、最新の国土地理院の地図を重ねわせた地図が以下です。左端の「★今回対象」部が今回のブログ対象です。そのほか、過去のブログで取り扱ってきたその他の井路川もありますね。振り返れば、鉄道と交差する井路川系記事は「筋遺井戸架道橋」の記事が最初だったと思います。

1911年(明治45年):「實地踏測大阪市街全圖」より (實→実、圖→図)

旧字体がありますが、読み方としては「ジッチ トウソク オオサカ シガイ ゼンズ」です。こちらの地図は、「日本国際文化研究センター」が所蔵しているデータ使用を申請した上で使用させてもらっています。

資料所蔵者/画像提供:国際日本文化研究センター::
「實地踏測大阪市街全圖」

最初からこの地図を見つけることができれば、と思うところがありますが、この地図によって、かなり確度高く、鉄道の下を流れる井路川に対して、架道橋がかかっていたかどうかを把握することができました。

地図にはあえて明記していませんが、右側の市境(かつての大阪市)が榎並川であることがわかります。明治時代末期のカラー印刷された地図がデジタルアーカイブされているので、川がどうかも一目でわかりますね。

当地の写真

架道橋名:「菜麦原架道橋」 しゅん工:大正3年3月(1914年3月)

煉瓦部ではなく、ほかの架道橋同様に、その煉瓦の上にかさ上げされたコンクリートにこのプレートが貼り付けされています。

架道橋部

もともとが川であり、幹線道路用のそれではないので、幅はせまく車が一両分くらいでしょうか。南側(京橋駅側)から北側へ向けて撮影したものです。

これまでの架道橋と同様に煉瓦部は関西鉄道時代のものです。その上に城東線(今の環状線)高架に伴ってコンクリートでかさ上げしています。煉瓦部は環状線開通時の1895年(明治28年)であるのは間違いないでしょう。実際には橋台部の工事はもっと早くに完成しているでしょうから、正しくは1895年以前ですね。

西側部には、初期の煉瓦の橋台が線路に沿って橋をかけるためのベースとなる段差構造を確認できます。

東側はその後の盛り土に取り込まれてしまっているようで、確認できませんでした。これまで見てきた架道橋と同様ですね。

同様に、煉瓦にメインとなる橋渡しを置かれる部分には、これまで見てきた橋と同様に、「床石」を確認することができます。(赤枠部)

床石

4つの床石を確認できます。1885年開通時の城東線は単線でしたが、複線化を目論み、その他の架道橋同様に複線分の架道橋を建設したことがここでも確認できます。城東線のなかで、この区間が複線化するのは1914年(大正3年)3月です。これまで見てきた架道橋(煉瓦の上にコンクリート)には、大正3年のプレートがありました。この架道橋も同様に床石の2つは橋をわたすことなく、その上にコンクリートにもられることとなります。それでもその他の煉瓦とともに礎として今は環状線となった今も線路と電車を支えています。

工の杭

北側に、「工」の字が入った石杭を確認できました。

カタカナのエ(え)、もしくは工業・工場の「工」か迷いました。はたまた何かの旧字体か。。。

これは、国の用地であることを示すための土の境界線を示すためのものです。では、なぜ「工」なのかといいますと、明治政府の官庁のひとつであった工部省(こうぶしょう)に由来するとのことです。
工部省は1870年(明治3年)から1885年(明治18年)まで存在し、官営事業として鉄道や製鉄などの近代化へのインフラ整備を行っていました。その後、各部門は分割・統合され、鉄道事業は「鉄道省」として引き継がれます。

日本各地で官民それぞれで鉄道が敷設されていく中で、1906年(明治39年)に交付された鉄道国有法により、多くの民営鉄道が国有化されていきました。

城東線を保有していた関西鉄道は、1907年(明治40年)10月1日に官営鉄道として取り込まれたわけです。その際に、関西鉄道が持っていた私有地は国有地となり、国有地であることをしめす境界線を示すために、「工」の石杭が打たれたと思われます。

関西鉄道と官営鉄道との泥沼競争

Herbert BieserによるPixabayからの画像

ブログの主題とは異なる内容ですが、お上が経営する官営鉄道と、主力路線であった大阪-名古屋間で競争状態となっていた関西鉄道との泥沼競争の中身とその後について整理しました。

城東線を保有していた関西鉄道は、三重県を本社に、西へと路線を展開していくなかで関西地域の鉄道を次々に買収していった会社です。片町線(今のJR学研都市線)を展開した浪速鉄道を皮切りに、城河鉄道、大阪鉄道(初代)、紀和鉄道、南和鉄道、奈良鉄道をその掌中におさめ、大阪-名古屋間において、国が経営する官営鉄道との旅客の奪い合いで過当競争が始まります

各社価格、サービス面などを充実していきましたが、両者譲らず泥沼化していきます。
価格を値下げすると相手方もさらに値下げしていくという、刃を交えぬものの、旅客獲得戦争のようなものです。

具体的には1902年(明治35年)8月1日で、もともと官営鉄道が大阪-名古屋間の片道運賃が1円77銭で、往復運賃が2円30銭だったのに対して、関西鉄道が往復運賃を2円(片道は1円47銭)に値下げます。約15%も安い価格です。

官営鉄道は慌てて同月6日に往復運賃を1円47銭に値下げし、往復運賃が片道運賃を下回るというまったくロジカルではない価格をぶつけます。お上が負けるわけにはいかないとでも思ったのでしょうか。いずれにしろ、大阪と名古屋間を移動するお客様は大喜びだったでしょうけど。

しかし、関西鉄道も怯まず、すぐさま往復運賃を1円50銭に値下げます。もともと往復運賃が2円30銭なわけですから、なんと40%近い値下げです。安すぎです!さらに、団扇などといった小物のサービスを行うなどして競争は泥沼へ。。。

rihaijによるPixabayからの画像

さすがにこれを見かねた名古屋商業会議所の建議により大阪府知事、国会議員等の調停がなされ、和解が成立します。

しかし、和解成立10か月後に、関西鉄道側が一方的に協定を破棄する形で再度競争が始まり、強きな価格のみならず、弁当などもおまけとしてつけはじめます。これはお客様は大喜びだったでしょう。そうまでして旅客を奪還したかったのでしょうか。それには厳しい経営環境もあったのかと思います。

関西鉄道の社長は倒産を覚悟し、「どうせ潰れるなら官鉄を潰してから」といったとのこと。もう「やけくそ」の心境だったのでしょう。流石は創業社長です。考えもぶっとんでます。サラリーマン社長はこうはできないでしょう。

しかし、1904年(明治37年)2月に日露戦争が勃発したことで輸送が軍需優先となったため、同年5月にようやく終結したのことです。貨物輸送面の収益が大きく貢献したものだと思います。

国有化時には、機関車121、客車571、貨車1,273が引き継がれました。(やはり貨物列車の比率が非常に高いです)。
路線でいうと、貨物線や今では廃線となった路線もありますが、今の線路でいうと、関西本線・草津線・片町線・紀勢本線・桜井線・和歌山線・奈良線・大阪環状線などが関西鉄道の路線でした。

鉄道国有法で全ての民営鉄道が国有化されたわけではなかったわけですし、関西でも多くの私鉄鉄道がある中で、関西鉄道が対象になったのは、「国益観点での最適化」なのか、「お上にたてついた生意気な鉄道会社」だったのかわかりませんが、法律に照らし合わせて考えると、おそらく前者でしょうね。

おわりに

もともと井路川の遺構探しから起草しましたが、環状線の京橋駅から桜ノ宮間では本記事で3件目となりました。引き続き、異なるアンダーパスもあり、あわせて付帯する関連ネタなどを盛り込んだ記事を出していきたいと思います。煉瓦部は100年以上経った今でも環状線を支えている生きた文化財ともいえるものだと思っています。そんな煉瓦部に落書きなどが散見されるのでとても残念に思います。

その上に国鉄がコンクリートにて高架化していますが、もちろんコストや強度の兼ね合いなどもあったかと思いますが、個人的にはそのまま煉瓦で組み上げてくれればと思うところありますが、それは素人の願望の類でしょうね。

もともと、井路川探索のための記事から派生して、鉄道史のほうが色濃くなってしまっていますが、その点ご容赦ください。

お読みいただきまして、ありがとうございました。

参考情報

實地踏測大阪市街全圖|所蔵地図データベース (nichibun.ac.jp)

「工」の杭の話 | キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage

関西鉄道 – Wikipedia

菜麦原架道橋
最新情報をチェックしよう!