- 2022-12-10
- 2022-12-10
京街道沿いを流れていた内代井路に架かっていた榎並橋
大阪から京への街道、京街道。古地図を紐解くと京街道の大阪市エリアは水路と並行している場所が多くあり、それぞれ川や水路の名前は違えど、街道沿いに水路があったというべきか、水路沿いに街道があったというべきか迷うくらい水路と並行しています。地下鉄でいうところの野江内代駅界隈から関目にかけて伸びていた内代井 […]
大阪から京への街道、京街道。古地図を紐解くと京街道の大阪市エリアは水路と並行している場所が多くあり、それぞれ川や水路の名前は違えど、街道沿いに水路があったというべきか、水路沿いに街道があったというべきか迷うくらい水路と並行しています。地下鉄でいうところの野江内代駅界隈から関目にかけて伸びていた内代井 […]
大阪市営谷町線の都島駅から南の京橋方面へ向かう道路は、ゆるやかな曲線のカーブが2回あり、かつ周辺地域の平坦なのに対して、道路に勾配があります。道路を車や自転車で通ると、その不自然な道路構造を感じます。古地図を紐解いて、なぜちょっとおかしな線形になっているのか、なぜ勾配があるのか、を調べてみました。 […]
江戸時代、大坂は八百八橋、と形容されるほど川の多い都市でした。ただ、実際には橋の数は江戸のほうが多かったようですが、当時の大坂域内での単位面積あたりの橋は決して少ないものではなかったと思います。その中で、お上の投資、いわゆる江戸時代の幕府によって架けられた橋は「公儀橋」と呼ばれ、大坂域内には12の公 […]
今の都島区と城東区を区の境となっているのは、かつて榎並川が流れていた部分であり、今は道路となっています。京橋界隈の鯰江川から北上し、都島本通から北西方面へ続いていました。城東区野江三丁目界隈にはこの榎並川を跨ぐ橋があったようでして、それに関する文献や史跡を探してきましたが、この度それらに関する文章と […]
以前の調査で都島区の斜めに800mも続く細長い公園について当地の写真や過去の地図などで整理しました。今回さらにその先の西側まで散策し、かつての井路(小さな農業用水路)が同様に公園や道路になっている場所を確認できましたので、前回作成したブログからだいぶ時間がたってしまいましたが、その続編として整理させ […]
大阪市は都島区、地下鉄谷町線の都島近くに煙突を発見しました。実は前回は都島駅から南東の方角にあった煙突に対して、今回は都島駅から北東にある煙突です。周囲は東西の都島通(かつて市電が入っていました)、そして南北には市道天王寺赤川線があり(ここも昔は市電が走ってました)、周辺には大阪市立総合医療センター […]
大阪市都島区の銀橋(桜宮橋)と都島橋まで、大川沿いに1丁目から5丁目まである中で、3丁目界隈に煙突を発見しました。3丁目といっても、「Always ~3丁目の夕日~」ではありません。しかしその時代をなんだか思い出させてくれそうな雰囲気ある建屋です。その建屋界隈を回ってみたので、整理しておきます。 【 […]
大阪市都島区の地下鉄谷町線都島駅から西へ徒歩3分ほどにある大阪市立総合医療センター。12の臓器別センターと58の診療科を擁し、各診療科に専門医を有し、高度かつ専門的医療を提供しています。病床数は1,000を超え、1,063床もあります。救急はもとより地域の高度医療には欠かせない重要施設です。ただこの […]
大阪は京橋、駅の南東側に小さな居酒屋や焼肉屋が並ぶなかで、その合間にひっそりとした墓地があります。よほどの事でないかぎり、そこが墓地であると認識することさえも難しいくらい周辺はそれら建物でおおわれており、わずかばかり見える柵やその隙間を通じて、墓地であることがわかります。 この墓地は歴史が長く、江戸 […]
大阪市の北区と都島区の区界は、かつての淀川、今は大川と呼ばれる川が流れており、国道一号線から中央区から都島区に入るのは、桜宮橋(櫻宮橋)を渡ります。この桜宮橋、戦前は東洋一の長さを誇るアーチ橋でした。地元では銀橋と言われるこの橋の歩道がとにかくぶち抜きで広いです。なぜこんなにも広いのでしょうか。 橋 […]