歩道なのにありえないくらい広い場所があります。2車線くらいの幅です。普通の幹線道路の歩道なのに、規格外とも言える広さです。大阪地下鉄谷町線の野江内代と関目高殿からの最寄りで、南西から北東にかけて都島通が通っています。ここの左側にあるのが都島区にある野江国道筋商店街、そこを抜けてJRのおおさか東線を抜けると、スーパーの阪急オアシスがあります。このスーパーに面している都島通の西側の歩道がなぜかとんでもなく広いです。そこらの道路の2車線くらいの広さがあり、さらにそこに阪急オアシスの駐輪場があります。その理由を探ってみました。
場所
最初に結論が書くようにしていますが、今回はまずは地図、場所を整理しておきます。場所は都島通沿い、阪急オアシス高殿店の目の前の歩道です。
最寄り駅は谷町線、野江内代駅もしくは関目高殿駅の双方の駅からの中間点くらいで、だいたい500mくらいの距離です。歩くと5分ないし6分くらいでしょうか。
【結論1】かつて「旭国道筋商店街」だったから
かつて商店街だったところが、歩道になったと考えるとしっくりします。Googleストリートマップで10年以上前にさかのぼってみます。まずは2021年4月時のストリートマップです。阪急オアシスが見えます。この前の歩道が広いんですよね。。。
それでは、Googleストリートマップの10年前はどうだったかというと・・・
なんと、商店街ではありませんか!!どうやら、ここは旭国道筋商店街、という名前の商店街でした。
また、南側には野江国道筋商店街がありますので、JRおおさか東線を挟んで、商店街が連続していたのですね。
もともとあった歩道に加え、この商店街部分が全てなくなり、更地になったということで、歩道が従来の2倍以上も広さになっているものと思われます。
これを航空写真でも確認してみたいと思います。
航空写真左下にある緑のアーケードが「野江国道筋商店街」です。都島区にありますが、城東区地名である野江です。そこからJRのおおさか東線を超えると、茶色の歩道部が広がっています。かつてはこの歩道には連なるように朝日国道筋商店街があったわけです。
その商店街がなくなり、かわりに阪急オアシスが進出したのか、歩道が通常以上の広さにうつっています。まるで歩道だけで幹線道路並の広さであることを確認できます。
【結論2】かつて水路があったから
さらに遡ると、古地図に行きあたります。これも以前、野江国道筋商店街近くのお肉屋さんのご主人にヒントを教えてもらいました。実際に地図を見ていると・・・ありましたよ、水路が。
古地図から
1911年(明治44年)の地図
野江国道筋商店街の向かいに旧野江駅がありました。その時の古地図を参照した際に、今の都島通沿いに、旧野江駅から、北東に向けて旧京阪本線と、水路らしき(黒線)があるのを確認できます。
一応、今の最新の国土地理院地図との対比地図も張っておきます。
この当時の地図からの都島通の野江内代~関目高殿の間の現在の都島通の西側に沿って、川が流れていたとのは間違いないかと思います。
1936年(昭和11年)年時の航空写真
今の阪急オアシスあたりを拡大したのがこちらです。橋が黒色ですが、どうみても水路ですね。橋もかかっていることが確認できます。左側の地図が拡大版です。水路だと思われるところは、水色の矩形で囲んでいます。今のおおさか東線を越えて、水路は野江国道筋商店街に及んでいます。
この航空写真ではまだ商店街らしきものが見当たりません。なぜなら、都島通と家屋との間に、水路があるからです。はっきりとした水路を確認できます。
1950年(昭和25年)時の航空写真
一部の地域はかつての建屋が焼けてしまった地域を確認できますが、今回の対象エリアを拡大しましたが、都島通沿いに沿って、かろうじて水路らしきものを確認できます。水路が黒で、それを跨ぐ橋が白なので、わかりやすいです。この時点で商店街は存在していたかどうかはわかりません。
拡大写真でもかろうじて、水路らしきものが確認できます。水路と道路の色の対比がわかりやすいです。
1964年(昭和39年)時の航空写真
解像度が悪く、わかりにくいです。川があるのかないのかの確認が難しくなってきました。
拡大写真です。
拡大すると、JRおおさか東線の北側、いわゆるかつての旭国道筋商店街があった場所は、北側のみ川らしきものが確認できます。ひょっとして川の上に板などを置いて商売などを始めたのでしょうか。
一方、JRおおさか東線の南側、いまの野江国道筋商店街のエリアはまだ水路らしきものを確認できます。
1978年(昭和53年)時の航空写真
このタイミングからの国土地理院の航空写真がカラーになっています。ただ、このタイミングから航空写真レベルでの水路の確認は難しくなっています。暗渠(蓋をされた水路)化された可能性もありますし、リアルに埋め立てられたのかもしれません。
こちらの写真、おおさか東線の南側、今の野江国道筋商店街エリアでは小屋らしきものが都島通沿いに建ち並んでいるようにみえます。
ただ、このあたりってもともと、道ということで、私有地ではないような気もしますが。。。また通りに沿って水路が流れていました。
これをあくまでも仮説の仮説ですけど、水路を埋め立てた、もしくは暗渠化した上の用地を使って、野江国道筋商店街、旭国道筋商店街が形成されたのかもしれない、とも考えています。
1983年(昭和58年)時の航空写真
野江国道筋商店街のアーケードらしき、同色の屋根を確認できます。今回のブログのターゲットとなっているエリアでは、まだ商店街らしきものを航空写真上からは認識できません。ただ、広い歩道なのか車道なのかわかりませんが、都島通に沿って広い土地があることを確認できます。
1986年(昭和63年)時の航空写真
1986年になると、野江国道筋商店街と旭国道筋商店街の部分が、アーケードでつながっているかのように確認できます。
航空写真上では同じアーケード色に見えますね。このアーケードの下が歩道で、アーケードの左側(西側)が商店の建屋だったと思われます。
現地の最寄りの写真
かつて水路だったと考えさせる構造物に、その水路をまたぐおおさか東線の橋梁があります。今は何もありませんが、まるでそこにかつて水路が流れていたことを思わせる構造です。
右側が柵でおおわれていますが、かつて水路だったと思われる部分です。左側が野江国道筋商店街のアーケード下にある歩道です。
歩道が広いと感じる理由は、かつての歩道エリア、かつての水路エリア(その上にある商店街エリア)が、今は全て歩道化されているがゆえに、非常に広い歩道のように感じるのだと思っています。
植栽部、歩道部がかつての商店街があった時代の歩道であり、そこからかつての商店街だった部分の土地、その土地に含んでいたか、或いはさらにその裏の土地が水路部だったのかは不明ですが、今ではそれらも全て歩道となっています。
これが理由で、このエリアの歩道が同じ都島通の他の場所と比べて、なんだか歩道部がいじょーに広い理由だと思います。
最後
自転車でこのあたりを累計100回以上通っています。いつも、まるで2車線くらいある歩道の広さに驚いており、反対側と比べて明らかに広かったり、その広かった歩道が一定区間で終わってしまうことに違和感を覚えていました。
都島通に沿いに水路(井路の類でしょうか?)があった、という地元のお肉屋さんのご主人(もともと他地域出身者で、この地域ではお肉屋さんを開業して30年)のネタのおかげで調べる動機がわきました。
引き続き、野江国道筋商店街のお店の方にヒアリングしつつ、周辺情報含めて、整理していければ、仮説を裏付ける材料を探していければ、と思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。