大坂の江戸時代の公儀橋スペック(6橋)-古地図から

江戸時代、大坂は八百八橋、と形容されるほど川の多い都市でした。ただ、実際には橋の数は江戸のほうが多かったようですが、当時の大坂域内での単位面積あたりの橋は決して少ないものではなかったと思います。その中で、お上の投資、いわゆる江戸時代の幕府によって架けられた橋は「公儀橋」と呼ばれ、大坂域内には12の公儀橋がありました。今も残る文化3年(1803年)に世に出された「増脩改正攝州大阪地圖」には、公儀橋がどのくらいのサイズの橋だったかを確認できる記述がありました。12の公儀橋のうち、6の公儀橋の長さや幅などが記述されていたので、今の橋とも対比しつつ整理してみました。

対象とした地図と公儀橋について

大坂の古地図の代表的な地図である、「増脩改正攝州大阪地圖」です。こちらの地図は幕末の外国人も購入したのか、海外でも同地図を確認できます。国会図書館をはじめ、所蔵している各大学でもデジタルデータを公開していますし、Google earthでも確認できます。

こちらの地図は文化3年(1806年)に出版されたものであり、今から約215年前の大坂の地図といえます。非常に細かい情報が記載されていますが、まずは今回の題材としての公儀橋に関する情報を整理します。

国会図書館:書籍ID 000008738848 より

折りたたまれている本を展開すると、ほぼほぼ今の大阪市(東側の鶴見区・旭区・城東区は欠けているものの)を網羅できています。

Google earth上の大阪の現代マップに近い状態で張り付けられています。

大坂に12あった公儀橋について

具体的に橋名と架かっている川を整理すると以下の通りです。1960年代に埋め立てられた鯰江川や長堀に架かっていた橋については、現在確認することができませんが、記念碑などが今に残っています。

番号架かっていた川橋名
1第二寝屋川(旧平野川・猫間川)鴫野橋
今は「新鴫野橋」
2鯰江川(1960年代に埋め立て)野田橋
(現存せず)
7鯰江川(1960年代に埋め立て)備前島橋
(現存せず)
3寝屋川(旧大和川)京橋
4大川(旧淀川)天満橋
5大川(旧淀川)天神橋
6大川(旧淀川)難波橋
8東堀川高麗橋
9東堀川本町橋
10東堀川農人橋
11長堀川(堀川1960年代に埋め立て)長堀橋
(現存せず)
12道頓堀川日本橋

左の番号を地図にプロットするとこのような位置です。増脩改正攝州大阪地圖に書かれている公儀橋スペックは北側が多いです。

地図に橋スペックがある公儀橋

鴫野橋:1

橋の長さ:29間1尺6寸 → 53.21m

橋の幅 :2間 → 3.64m

鴫野橋も江戸時代からあり、公儀橋です。現在かかっている橋は、「新鴫野橋」という名前になっており、誤解を生みやすいのです。

現代の橋の長さ:61.0m

現代の橋の幅 :8.0m

長さは若干長くなっていますが、幅は片側1車線(2車線)と歩道含めて広くなっています。

野田橋:2

橋の長さ:15間5尺5寸 → 28.94m

橋の幅 :2間 → 3.64m

今は、すでに野田橋はありません。野田橋は鯰江川にかかっていた橋であり、今はそこに橋あったことを示す記念碑だけあります。

京橋:3

橋の長さ:50間3尺8寸 → 92.06m

橋の幅 :2間 → 3.64m

大阪の京橋といえば、環状線の駅名のほうが有名ですが、橋の京橋は実在します。

現代の橋の長さ:55.1m

現代の橋の幅 :9m

公儀橋だったので、擬宝珠などの欄干を含めた橋であれば、良かったのですが、今もしっかりと橋がかかっています。当時と比べて短くなっています。かつて京橋から北側が島だったり、鯰江川などをはじめ、川が今よりも多くこの地を流れていたからでしょうね。

天満橋:4

橋の長さ:122間3尺 → 222.73m

橋の幅 :3間 → 5.45m

現代の橋の長さ:55.1m

現代の橋の幅 :9m

天神橋:5

橋の長さ:115間5尺 → 210.61m

橋の幅 :3間 → 5.45m

3連アーチ橋の天神橋 Wikipedia CC

現代の橋の長さ:210.7m

現代の橋の幅 :22.0m

難波橋:6

橋の長さ:114間6尺 → 209.09m

橋の幅 :3間 → 5.45m

現代の橋の長さ:189.7m
現代の橋の幅 :21.8m

江戸時代の時と比べてもやはり若干短い橋になっています。

地図にスペック記述がない公儀橋

どういうわけか、北側の橋はそれぞれ空きスペース(川部)などに長さや幅について記述があるのに対して、その他の橋は記述を確認できませんでした。

備前島橋:7

今は橋はなく、遺構なども確認するに至っていません。そんなに長い橋ではなかったように思われます。同じ鯰江川にかかっていた野田橋から推測すると、おそらく長さは20m~30m、幅は4m未満だったと思われます。

高麗橋:8

高札などが掲げられていたと思われる地図の記載もあり、実際に高札もかけられていました。各地への距離はこの高麗橋を軸に算定されていたようです。京へ向かう京街道のスタート地域はこの高麗橋からとなります。

本町橋:9

農人橋:10

長堀橋:11

かつての水路、長堀が1960年代に埋められ、今は橋を確認することはできませんが、その遺構は残っています。

日本橋:12

Google earthでの古地図について

Google earthの古地図は日本はもとより、世界各地のそれがあり、今のリアルな地図はもとより、数百年前まで一気にタイムスリップできます。

日本は江戸、京都、大坂をはじめ、その他2都市の地図が掲載されています。東京については、年代が異なる地図があります。是非一度ご参照ください。大阪については、今回の「増脩改正攝州大阪地圖」がベースになっています。

日本はもとより各地の古地図もありますので、楽しめると思います。

最後に

大阪には多くの水路、運河、堀、川があり、多くの橋がかけられていました。お上(時の政府)がかけた橋は江戸時代にはわずか12個だけでした。地元の商人、関係者によって多くの橋がかけられました。もちろん、今日では全て行政の管理のもとの橋ではありますが、より便利にするため、街を活性化させるため、当時の大坂商人達の前向きな気持ちが伝わってきます。

今も残る橋、時代に流れで役目を終えた橋、一つ一つの橋にドラマがあると思っています。一つ一つの橋に歴史や変遷、時代の経過に伴って橋の形状、材質、デザインも変化してきており、ここではそれらを細かく説明することはできませんでしたが、今後整理していけるようまた情報収集を進めてまいります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

江戸時代、お上(幕府)が架けた橋、公儀橋。地図に記載された橋の長さや幅などのスペックを読んでみました。
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