商売上手な三大商人(世界と日本)

世界の三大商人、華僑、印僑、ユダヤ人と言われます。日本の三大商人は、近江商人、大阪商人、伊勢商人と言われます。もちろん歴史を紐解けば、各時代、タイミングに応じて商売上手として、有名になった各地域の商人もいますが、まずは「世界」、「日本」の三大商人について整理しました。彼らはなぜそのように形容されるのか、その所以はどこにあるのかを調べたいと思います。

世界三大商人

決してその人たち全員をステレオ定義でくくってはいけないのですが、あくまでも「そのように表現される」例の一つとして認識する程度でも良いかと思います。商人ならずとも、専門の資格や技能を持っている方々もいるでしょうが、彼らがなぜそのように表現されるのか、紐解いてみたいと思います。

華僑(中国人)

PPhPhoPhffffffffPhoto ACより

華僑とは、中国以外に住んでいながら、その地の国籍を有していない中国人のことで、全世界に6,000万人以上いるといわれており、その資産規模も2兆5,000億ドル(約280兆円)以上と推定されています。一方、当地の国籍を有している方を華人といいます。主に中国の華南地方の方が多いです。具体的には以下のような地域の方です。

広東人広東省広州周辺出身
広東語を話す
福建人/
閩南人
福建省南部の泉州、廈門、漳州周辺や台湾出身
福建語(閩南語)を話す
潮州人潮州や汕頭周辺の出身
潮州語を話す
客家人広東省東部の梅州、陸豊、海豊、
福建省西部周辺や台湾出身
客家語を話す
海南人現海南省出身
台山人/
四邑人
台山や江門出身
台山語を話す
福州人福州、福清周辺出身
福州語を話す
興化人莆田周辺出身
興化語を話す
寧波人浙江省寧波周辺出身
寧波語を話す
温州人温州周辺出身
温州語を話す
Wikipedia より

世界中にいる彼らは、起業家精神に溢れ、当地で仲間コミュニティを大切にし、相互で助け合います。また当地でビジネスをするにあたって、面倒事を回避するような努力も怠らないようです。もし異国にて、当地の方々から忌み嫌われては、商売も身内にしか成り立ちませんし、嫌がらせなどもあるからでしょう。ただ一方で自分たちのアイデンティティや文化を大切にしつつ、当地に同化し過ぎずにビジネスだけを純粋に成功させる、という点は学ぶところが多いかと思います。

彼らはビジネスの勝ち負けにこだわりますし、その生活の全てにおいて経済が優先され、幼い頃から自らの子供にマネー教育をほどこす伝統があります。これはとても重要なものだと思います。ビジネスをする上ではもちろん各種パートナーや関係者との信頼関係は必須でありますが、ボランティアではなく、ビジネスをする以上、しっかりとした利益を上げなければ生活することはできません。よって、事業観点でお金を儲けるにあたっての多くの事を勉強する必要があるかと思います。どの事業でも共通しているのは、お金(税なども含めて)の知識です。これは不変だと思いますし、もっとも必要とするベーススキルだと思います。

日本は平和すぎるところがありますが、商売やビジネスでは、相手を騙して自身の利益だけを考える狩猟的な連中も実際にいるわけで、ビジネスにおける与信における考え方も日本よりも鋭いところがあるかと思います。

印僑(インド人)

Rishabh BizStreetによるPixabayからの画像

印僑は全世界に2,500万人いて、特に250万人が住むアメリカでは、人口の0.5%という少数民族なのに、印僑の「9人に1人」が年収1億円以上といわれてます。

彼らの中で、そのバイブル的なものは「シュガール」と呼ばれており、その概要は下記のようなものです。

・少ない力で多くのものを得る
・自分の枠を超えた発想で考え、行動する
・やわらか頭で考えてピンチをチャンスにする
・シンプルに考える
・決してあきらめない
・自分を抑えつけない
・セルフ・エフィカシー(自己効力感)を大事に育てていく
個人的には、最後の3つがささります。何かビジネスを始めても、当初の目論見通り進むというよりかは、想定外のことも発生するでしょうし、その中には自助努力ではどうしようもないケースも含まれます。そんな中にあっても臨機応変に行動して諦めず、継続して考えて活動する点や、自身を信じて突き進む胆力、かつ学び続けていくひたむきさは重要なところだと思いました。また華僑同様に子息の教育にも多くの投資をすることでも有名です。

ユダヤ人

Tom GordonによるPixabayからの画像

誰もがすぐ浮かぶのがユダヤ人でしょう。なぜ彼らは商売、お金を儲けることに長けている、といわれているのでしょうか。そこには宗教もあわせた歴史から遡る必要があります。

キリスト教下の社会において、彼らは土地所有を禁止され、農業で生活することができず、ギルドという職人組合に参加することもできなかったので職人にもなれず、ユダヤ人が手掛けることが出来た商売は、金融(金貸し)・行商・旅芸人ぐらいしかなかったようです。金貸しを営むことになれば、必然的に相手の事業や与信調査などはもとより、多くの情報を分析する必要があります。加えて同業関係者(ユダヤ人)との交流を通じて、多くの情報を交換していたことは容易に想像つきます。また、金融業を営んでいれば、各事業の景気の良し悪しなども容易にわかりますし、また伸びそうな業界などもわかりやすいでしょう。そうした膨大な情報やネットワークをもとに金融はもとより、それ以外の産業への参入する際には大きな力になったかと思います。

華僑、印僑と共通しているのは、同業関係者(あるいは同郷)子弟の教育には多額の投資を惜しまないこともききます。

日本三大商人

日本での三大商人は、近江商人、大阪商人、伊勢商人といわれます。いずれも日本国内では、東側というよりかは西側よりというべきでしょうか。これら地域の商人・商売にはどのような特徴があるのかを整理したいと思います。

近江商人

出展:東近江市近江商人博物館

滋賀県は近江、古くから東西南北の交通の結節点でもありながら、近江商人=行商というイメージが強いです。全国を天秤棒一本で行商した開拓者精神が旺盛だったようです。単に「とにかく儲ければよい」いうのではなく、社会的に認められる正当な商売を信条とし、巧妙な計算や企てをよしとせず、世の中の過不足を補填することを一番としていたようです。

焼き畑農業的な短期間で儲け、その後が続かないような商売ではなく、長期的・継続的な商売こそが、長い目で安定して儲けていくことができるといった観点でしょうか。

彼らは、行商先で出かけで商品を売った帰りに、その土地の産物を購入して持ち帰り、それを加工してまた販売するという、「ノコギリ商法」という方法で巨万の富を得る商人もいました。もともと交通の要所、結節点にあるのもポイントでしたが、中でも有名なものは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」とする信条だと思います。

需要があるからといって、世間的に喜ばれないモノを売買することは、たしかに売り手・買い手ともに幸せかもしれませんが、世間から客観的に見た場合、その商いは世の中から支持を受けられるものか、という点ですね。もちろん商売である以上、商売敵といいますか、ライバルもいるかと思いますが、商売の勝ち負けはともかく、世間が是とする商いを大切にするのはとても良い示唆を私たちに与えてくれます。

ここでいう世間というのは、時の流れによって変わっていくものだと思います。

近江商人の商売10訓

以下のような内容です。心に刺さるところ多いです。

1,商売は世のため、人のための奉公にして、利益はその当然の報酬である。
2,店の大小より場所の良否、場所の良否よりも品の如何が重要である。
3,売る前のお世辞より売った後の奉公。お客の信用を得ることが商売繁盛となる。
4,売上が少ないのは資金の少なさの問題ではなく、そもそも信用が足りていない証拠
5,無理に売るな!お客の好むものも売るな!客のためになるものを売れ
6,お客のためになる良い商品を売ることは善行。そして良い商品を宣伝して、多く売る事はさらに良いこと!
7,紙一枚でも景品はお客を喜ばせる。あげるもののない時は笑顔を景品にせよ。
8,定価を守れ!安易な値下げで売ることはしない
9,今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ!
10,商売には好況、不況はない。どんな状況でも世の中からニーズはなくならない

昨今はコロナ禍において、インターネットでの売買が年々増える中、お店でものを買うということがさらに減っており、おまけに皆が皆マスクをつけているため、笑いがわかりやすい口元もわからず、笑顔を見る機会あるいは見せる機会というのは減ってきているなかで、商売は愛嬌や笑顔も重要であるという基本的な事を思い返しました。もちろん、直接もしくは毎度お客様と相対するようなサービス業以外の仕事であっても、これら10訓は大きく響きます。とりわけ最後の10個目については、景気・不景気を言い訳にせず、その時代やタイミングに応じた何等かの需要があるわけで、事業がうまくいかないことの言い訳をしない、もしくは常に目を八方に配り、商売機会が探すことが必要であるかのように受け止めることができます。

大阪商人(浪速商人)

「転んでもタダでは起きない」ともいわれる大阪商人、厳密には浪速(難波)商人ともいわれるようですが、戦国時代では堺の商人らによって、自治意識高く地域をまとめていました。江戸時代に入った天保年間には125もの大名の蔵屋敷が大坂に集結していたようです。大坂八百八橋といわれるほど橋が多いのは、重たいものでも効率よく運搬できる水運を活用する掘割が多いためです。そして諸国から、この大坂へ米をはじめ様々な物資が集まってきました。そのため、各大名は大坂に蔵屋敷を置きました。

各藩の基本的な収入の一つは石高であり、つまりは米です。米を売買するにあたっては、大阪が都合が良かったのでしょう。両替商、米商などからも豪商と呼ばれるものもあり、貨幣に変えたものからまた何かを売買するにあたっても、物資の集積地である大阪はまさに商人の活躍のしどころです。

また、全国からの物資が集結するところには、当然同じ製品であっても産地が異なるものもあるため、より良いものを選んで売買する上でも、いわゆる「目利き」が必要となります。加えて、商売として、「良いものを安く」購入するための交渉、見栄や建前などに意思決定が判断されぬよう、より合理的な考え方が磨かれていったことは間違いないかと思います。

「スジを通す」という表現は関西ならではだと思いますが、ここでのスジとは論理的に辻褄がちゃんが合っているか、しかるべき手順やルールを順守しているか、という観点もあり、商人たちが相互に公正な商売をする上で大切にした点だと思います。大阪の幹線道路では、南北に沿う道路は、「筋」と言われます。よって、「スジを通す」とは、上から下、もしくは下から上等、誰もが納得できる手順やルール、規範があったことが想像できます。一定のルールの中で、かつ多くの選択肢や機会がある中で、商人としての才覚や土壌が養われるには十分すぎるほどの環境だと思います。

伊勢商人

伊勢出身で名高い豪商として、江戸、京都で「三井越後屋呉服店」を開いた三井高利が伊勢商人の代表として有名です。その後両替商としても成功し、今も残る三大財閥の1つでもある三井財閥の源流は伊勢商人が出発でした。

伊勢の本店は経営者たる主人がおり、江戸の支店の経営は支配人や番頭に一任し、独立採算制を採用していました。この独立採算は規模を大きくしようというときは、各店での経営者を育成する際にもとても効果的だったと思います。

とにかく江戸の大店の主人から従業員に至るまで、殆ど伊勢出身達で構成されていました。大阪商人と同じく「始末」「才覚」「算用」を心得とし、なるべく倹約したうえで、工夫して商売し、積極的な販売戦略を打ち出した。

江戸時代の呉服店の販売は訪問販売の「屋敷売り」か、お店に来た客のニーズに応じて、反物を一つ一つ小僧が店頭にもってきては、お店からの価格提示、お客からの値引き等の交渉を経て取引が成立したら商品を届ける「見世物商い」の、いずれかの方法をとっていました。また勘定は一般的には「ツケ」となり、年に2回ないしは3回ほど季節のタイミングで集金を行っていました。

このやり方を良く表現すれば、一人一人のニーズを確認しながら丁寧に販売することになりますし、定価という概念がないため、一見の客(まだ信用・信頼関係が気づかれていない)には高く売りつけることができます。

しかし、従来のやり方を大きく変えた新しいイノベーションを三井越後屋は導入することで、より多くの顧客の支持を得て急激に成長します。

従来からの変化点は以下の表に整理しました。

従来新手法
お金の回収ツケ払いその場払い
値段不定予め値引いた定価
販売・集金までの時間長い劇的に短縮
巧みな交渉術必要不要
反物の売り方一反単位のみ一反未満での
切り売り可
オーダメイド不可店頭で可

「現金掛け値なし」値引き交渉なく(予め適正利益を確保した上での)の売り

「店前売り」ツケになっていたお金を後日回収から改めお店で売る

「切り売り」顧客要望に基づく長さで売る

「仕立て売り」顧客要望のカスタムオーダーにこたえる

これれは、ツケを回収するコストをも解消し、店頭でうだうだと交渉する時間をも解消する合理的なものであり、加えて顧客満足を満たす取り組みです。現代を生きる我々は、「そんなの当たり前だよ」と思うかもしれませんが、当時では画期的だったわけで、最初にそれを実践し、展開し、大きな事業にしていったのが三井越後屋でした。

既成のやり方を踏襲せず、新しい手法を以て経営効率を上げ、顧客満足をも向上させるやり方がヒットしないわけがありません。いつの時代であれ、やはり新しい手法を取り入れる、もしくは検討してトライしてみる、ということはとても重要だと改めて感じるところです。

その他商人

三大、というカテゴリに入らずとも、「商人」としてその才の誉れを受けた商人は多いです。古くにはフェニキア人、アルメニア人、中国、温州地方の温州人、富山の薬売り等も整理したいですが、それはまた別項にてまとめたいと思います。

ビジネスで成功するユダヤ人
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