城東区の豆腐屋一筋60年のお店 

それはそれは、小さな小さな豆腐屋さんが大阪市城東区の野江2丁目にあります。まるで昭和のドラマに出てきそうです。軒先にある什器、そして豆腐の水槽にはお豆腐、厚揚げ、京揚げが並んでいます。経営されているのは老夫婦とその息子さんと思われる方です。野菜から肉から何でも買えるスーパー、24時間やっているコンビニがありながら、今日まで頑張って経営されている豆腐屋さんが気になりました。しばしば購入に行ってはご主人やその奥様とお話しする機会があり、そこで教えて頂いた内容を整理してみました。

店名:平内商店 とうふ

創業は昭和36年(1961年)です。2021年では創業から丁度60周年となります。平内は「へいない」と読みます。

昔ながらの得意さんには配達もしているそうです。お店の前に原付バイクがとまっています。

お豆腐とお揚げ

興味本位で初めて購入しで自宅ですぐ食べた時、明らかにスーパーやコンビニで売られているコンビニの豆腐とは違うものだと感じました。その日に店内で作られた豆腐ということもありますし、「これぞ豆腐!」といいますか、なんだか何かぎゅーっと詰まっているような感覚でした。(上手に表現できていませんけど)

お豆腐は木綿と絹の2種類です。注文した際に、「からしはつけるか?」と聞かれました。私は豆腐にからしをつけて食べたことがなかったので、「からしって何ですか?」と聞いたところ、マスタードをおまけでつけてくれるとのことでした。何でも豆腐にマスタードをつけて食べるお客様が多いのか、お店でサービスでマスタードをつけてくれます。

わさび醤油のような気持ちで自宅で食べてみると、これが美味い!アルコールの肴にも打ってつけとなります。お客様は昔からの地域の常連客さんばかりようで、慣れたようなもんです。ここのお豆腐や揚げを食べると、スーパーのものでは満足できなくなりました。

私もその一人。スーパーいけばどちらも購入できますが、わざわざお店まで購入するのはそのためです。

お次はお揚げです。

三角タイプのもの、四角タイプのもの、ゴマ入りのもの、ひろうす(ガンモのようなもの)、そして京あげ(薄くて平たいタイプ)等々、様々です。私は土曜日の夕方以降に購入することが多いんのですが、そのころになると商品が少なくなっているので、購入される際は少し早い時間くらいがおすすめです。

ただ焼いて食べるだけでとても美味しいです。

場所

地下鉄谷町線の野江内代駅から南へ550メートル、約7分くらいでしょうか。

或いは2019年に開通したばかりのおおさか東線の「JR野江」駅の「野江口」から600メートル、同様に7分くらいでししょうか。JR野江はJR側です。JRの駅ですが、「JR野江」で駅名です。なぜJRなのに駅名に「JR」がつくかはこちらを参照ください。

この界隈のことで教えて頂いた事

かつては商店街でした

この平内商店さんの前にある道は、かつては「野江新道商店街(のえしんみちしょうてんがい)」と呼ばれ、すでにお店らしいお店はこのお豆腐屋さんしかないのですが、かつてこの筋は商店街だったわけです。これはびっくりしました。

ただ、この筋は本当に細い筋です。といいますか、この界隈の住宅街の道は本当に狭く、乗用車が一台通れるのがやっと広さです。

下の図の左は国土地理院が提供している地図です。青枠部がかつての商店街だった部分です。黄色の☆マークが、平内商店さんです。一方、右はGoogleさんの地図ですが、道の幅員なども反映されているのか、平内商店さんが位置する(かつての商店街だった)筋は本当に細いです。

平内商店さんの西側(左側)に、やや幅員の広い道路がありますが、これはかつての榎並川であり、道がところどころ広くなったり狭くなったり、妙なカーブを描いています。この点については、以前の記事でも整理しています。

最寄りに銭湯がありました

「そこの角に銭湯があったんですよ」と、ご主人の奥様が教えてくれました。「えー!そうなんですか」とびっくりする私。小さな交差点の角には、小さな小さなコインランドリーがあります。なぜこんな場所にコインランドリーがあるのか、以前から不思議でした。下の写真の青い瓦の交差点はコインランドリーで、今も経営しています。夜は22時くらいまでやっています。

この写真の反対側がかつては銭湯だったようですが、今は普通の新しい戸建て住宅が何棟もたっています。そこでGoogle mapの古い地図で確認してみることにしました。

Google mapより

なんと、残念ながらかつての「野江新道商店街」にはGoogle mapのストリートビューの地図生成用の車両、もしくは自転車が通っておらず、最寄りのコインランドリーの交差点部の通りからの確認にならざるを得ません。調べてみます。

2015年3月が一番古いデータでしたが、そのタイミングで見ますと・・・

東から西を見たアングル

確かに、「ゆ」の文字が確認できます!もう少しだけ、よってみます。

銭湯の名前は、「ニュー朝日」さんだったようです。んんっ?この名前、千林にある「朝日湯」さんを連想させます。今度朝日湯さんへいった際に聞いてみようと思います。

その後のストリートビューのタイミングは、2016年5月。このタイミングでは、すでに銭湯の建屋は取り壊されており、分譲住宅用の土地として展開されることが伺えるのぼりが見えます。かなり広い敷地だったようです。或いは周辺地域も含めて、ディベロッパーがまとめて購入したのかもしれません。

そして、今は戸建てが何棟もたっています。下の写真の右側がかつて銭湯があった「ニュー朝日」

昔はバスも走っていた

「えーーー!、こんな細い道をバスが走っていたんですか!?」とびっくりしました。昭和初期、大阪では大阪市営のいわゆる「市バス」のみならず、青バスと呼ばれた民間の「大阪バス」、乗合自動車も各地で走っていたので、おそらくかつての商店街だったこの筋を走っていたのではないか、と考えています。市バスについては、過去の路線図含めて調べましたが、この筋がルートではなかったようです。

おそらく、民間の小さな小型のバスだったものと思われます。こんなバスだったんでしょうか。

出典:大阪の交通史 一戦前の市電と乗合自動車(バス)大阪商業大学 総合経営学部 准教授 谷  内  正  往。このパンフレットそのものは、「大阪市立中央図書館所蔵」とのことでした。

市場もあった

今は、集合住宅がたっていますが、かつては市場もあったとのことです。お店の北側30mくらいのところのエリアです。中にも多くのお店があったとのことです。

商店街にあったその他のお店

ヒアリングしてくれるとたくさん教えていただきました。商店街内には、散髪屋、うどん屋、薬局、そして荒物屋。。。本当に商店街だったんですねぇ。ところで私は「荒物屋」というお店を知りませんでした。その場で質問した際は、箒(ほうき)やら、石鹸、紙、等々、生活周りの色んなものを売っているお店のことでした。今でいうところの家庭内で必要なものを販売する雑貨屋さんみたいなものでしょうか。

荒物とは粗雑な道具類のことで、小間物(こまもの)に対していった。江戸初期には現れ、そこでは旅の荷造りの薦(こも)・渋紙・縄・細引や、差木履(さしぼくり)、塗木履を売っていた。その後、取り扱う商品は変わってきて、多くの日用雑貨、たとえば笊(ざる)や桶(おけ)といった台所用具、草鞋(わらじ)、箒(ほうき)、塵(ちり)取り、浅草紙、下蝋燭(ろうそく)などがあった。荒物屋は今日では日用雑貨商にあたるものといえる。

荒物屋とは – コトバンク (kotobank.jp)

またこの平内商店以外にも商店街には、あと2店舗も豆腐屋さんがあったとのことです。(そのうち、一つは市場のなかに)

お店周りの写真

細い道路が多く、かつて何かしのお店だったところも、ハザードが破れてしまっている状態だったり、閉店してから多く時間が経過していることがわかります。周辺の小路も細く、すぐ近くに人でごった返している京橋駅があるとは思えないくらい、静かです。

最後に

お店を切り盛りされているのは、すでにかなりご高齢のご主人、その奥様、そして2代目さんと思われる方の3名です。2代目さんは、京揚げのつくり方を京都の名店で修業された経験を持っています。京揚げは厚揚げと工法が異なり、一定の技術を要するようで、かつての豆腐屋さんの多くは、京揚げを京揚げ専門のお店から仕入れていたようです。そういったお店も閉業して減ってきたのか、平内商店では内製化しています。

2代目ご主人は私と似たような事に関心がおありで、先日の購入後話し込んでしまいました。スーパー、ネット、大店舗、コンビニ等、ものを買うにはとても便利な時代になってきました。「〇〇屋」さん、というかつての商店街にあった特定種別の商品だけを販売する店舗自体、とても苦しい時代になっているとはいえ、尖った商品を売って、地元の方に支持されているお店は今後も残っていってもらいたいです。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。お店のご主人、奥様、二代目さん、色々教えていただいてありがとうございました。

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