パリ:高架歩道より

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パリ バスチーユの高架歩道から

京橋の煉瓦塀

ローマ風庭園

京橋立ち飲み

一店一店の特徴

京阪京橋駅の今昔

今の京橋駅は3代目

  • 2022-12-25
  • 2022-12-25

都道府県別ハンバーガーショップ:人口10万人当たり 平成28年経済センサス版

手軽に食べれるファーストフードの代表格のハンバーガーショップ。大手チェーンのマクドナルドをはじめ、全国展開している大手以外に、地域ならではハンバーガーショップの事業所数(つまりは店舗数)を人口10万人あたりの事業所数に換算して、都道府県別ランキングを作成してみました。1位は沖縄県、2位は山梨県、3位 […]

  • 2022-12-24

大阪城東の玉造筋沿いに巨木街路樹がありました

大阪環状線の東側、大阪城の東側には南北にまっすぐで西側には大阪城、東側には電車検車場、と周囲に住宅がないエリアが長い区間があります。玉造筋、北は寝屋川がある大阪ビジネスパーク(OBP)を起点としたすると、南向きへ環状線と並走しており、天王寺まで続きます。この玉造筋の大阪城東側にはかつて立派な街路樹、 […]

  • 2022-12-11
  • 2022-12-11

森ノ宮UR公団内の大阪砲兵工廠跡の石碑と今昔地図

大阪砲兵工廠とは 大阪砲兵工廠の場所と広さについて 最終時は、大阪陸軍造兵廠と呼ばれ、今の大阪城の東外堀から、今の大阪城公園の東側、森ノ宮のほどんどを占め、北側のOBPなども含めて、アジア最大の軍需工場でした。 日本の文明開化に伴って、当時は富国強兵政策のもと、1870年(明治3年)に早々と造兵司設 […]

  • 2022-12-11
  • 2022-12-11

肉太いぞ!「ラーメン荘 これが好きだから」西宮

JR神戸線西宮駅、阪急今津線国道阪神駅からほど近い場所に、関西では安定した味とボリュームを提供する二郎系ラーメンを提供するお店があります。大抵10人前後の行列があり、人気があります。先日このラーメンを食べることができましたので、お店の外観や店内、そしてラーメンの感想を整理したいと思います。 ラーメン […]

  • 2022-12-10
  • 2022-12-10

京街道沿いを流れていた内代井路に架かっていた榎並橋

大阪から京への街道、京街道。古地図を紐解くと京街道の大阪市エリアは水路と並行している場所が多くあり、それぞれ川や水路の名前は違えど、街道沿いに水路があったというべきか、水路沿いに街道があったというべきか迷うくらい水路と並行しています。地下鉄でいうところの野江内代駅界隈から関目にかけて伸びていた内代井 […]

  • 2022-11-27
  • 2022-12-10

千間川:城東区と東成区の境。~緑橋・深江橋の駅名由来~

大阪市内で細長い公園、周辺と比べてやたらと幅員ある道路、もしくは歩道をみかけると非常に高い確率でそこがかつて川、もしくは水路、或いは鉄道だった可能性が高いです。大阪域内は水運や工業用・農業用にわたって豊臣秀吉公が統治した時代から天下泰平の江戸時代から、さらには明治時代にかけても多くの水路が開削されま […]

  • 2022-11-26
  • 2022-11-27

天満堀川にかかっていた夫婦橋の遺構(親柱2本)

大阪市北区樋ノ口町の大川から天満を抜けて天神橋と難波橋の地域(今の菅原町)まで水路だった天満堀川、その中間地域にあり日本一長い商店街である天満商店街の天神橋三丁目と四丁目を流れていました。かつては夫婦橋(ふうふばし)という名の橋がかかっていました。1960年代以降の都市高速建設時に天満堀川は埋め立て […]

  • 2022-11-23
  • 2022-11-23

大阪環状線の大阪鉄道時代の遺構橋梁-OBP

大阪環状線の東側部分は、かつて大阪鉄道が1895年(明治28年)に天王寺から梅田(大阪駅の近く)まで開通させたものです。当時は城東線と呼ばれていました。その後に関西を代表するヤンチャな私鉄、「関西鉄道」に大阪鉄道は買収され、関西鉄道が梅田駅を当時の官営鉄道の大阪駅と統合しました。天王寺から玉造、森ノ […]

  • 2022-11-20
  • 2022-11-20

都島駅南にある道路の勾配の謎に迫る

大阪市営谷町線の都島駅から南の京橋方面へ向かう道路は、ゆるやかな曲線のカーブが2回あり、かつ周辺地域の平坦なのに対して、道路に勾配があります。道路を車や自転車で通ると、その不自然な道路構造を感じます。古地図を紐解いて、なぜちょっとおかしな線形になっているのか、なぜ勾配があるのか、を調べてみました。 […]

  • 2022-11-19
  • 2022-11-19

大坂の江戸時代の公儀橋スペック(6橋)-古地図から

江戸時代、大坂は八百八橋、と形容されるほど川の多い都市でした。ただ、実際には橋の数は江戸のほうが多かったようですが、当時の大坂域内での単位面積あたりの橋は決して少ないものではなかったと思います。その中で、お上の投資、いわゆる江戸時代の幕府によって架けられた橋は「公儀橋」と呼ばれ、大坂域内には12の公 […]