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埋め立てられた川や堀

  • 2022-08-16
  • 2022-08-16

大川から樋之口町-天満を経て堂島川まで繋がっていた天満堀川(大阪市北区)

大阪府北区、大川沿いの西側に「樋之口町」という地名があります。すでに樋門や導水した川を確認することはできませんが、名前を聞くだけで、ははーん、ここはかつて大川からの樋門があった場所に違いないと思って、地名をキーワード検索してみると、別のアングラなネタばかりがヒットし、なかなか探していた情報にたどり着 […]

  • 2022-07-02
  • 2023-03-11

鯰江川へ合流する井路

はじめに、今回の記事に関連する情報について振り返りたいと思います。大阪は京橋駅南の高低差については、かつて流れていて今は廃川となって埋め立てられた鯰江川の堤防であり、かつその堤防は、大和街道(一部、古堤街道、野崎街道とも呼ばれます)である点について整理しました。前回のブログはこちらです。 そして、そ […]

  • 2022-05-06
  • 2025-09-23

大阪拘置所最寄りの都島区の井路跡の細長い公園

以前の調査で都島区の斜めに800mも続く細長い公園について当地の写真や過去の地図などで整理しました。今回さらにその先の西側まで散策し、かつての井路(小さな農業用水路)が同様に公園や道路になっている場所を確認できましたので、前回作成したブログからだいぶ時間がたってしまいましたが、その続編として整理させ […]

  • 2021-10-10
  • 2021-12-28

都島通 なぜこんな広い歩道なのか

歩道なのにありえないくらい広い場所があります。2車線くらいの幅です。普通の幹線道路の歩道なのに、規格外とも言える広さです。大阪地下鉄谷町線の野江内代と関目高殿からの最寄りで、南西から北東にかけて都島通が通っています。ここの左側にあるのが都島区にある野江国道筋商店街、そこを抜けてJRのおおさか東線を抜 […]

  • 2021-08-16
  • 2021-08-17

明福寺脇にあった寝屋川と井路を通す樋門

大阪府大東市、寝屋川沿いにある明福寺最寄りに石碑を見つけました。何やら歴史的な偉業を讃えるかのような記念碑のようです。石碑に掘ってある字を手で読み取るかのごとく近づいて、色んな角度での読解を試みていたところ、最寄りのお宅から可愛い猫さんを抱えた女性が出てこられました。ひょっとして何かこの石碑の事で知 […]

  • 2021-07-05
  • 2021-07-05

鴫野駅界隈の煙突元の調査

幹線道路から少し入って、斜めの道や細い道が多くある界隈で、煙突を見つけました。灰色で無骨そのものの煙突です。こちらの煙突は・・・。それからこの地に斜めの道路が多いことが気になり、古い航空写真もあわせて調べてみました。 【結論】現役銭湯の「華厳温泉」さんの煙突 白を基調にした壁や看板です。まさにシンプ […]

  • 2021-05-25
  • 2023-03-11

水道上陸橋:旧桜ノ宮線と城東線の合流地点

大阪環状線の京橋駅と桜ノ宮駅間にて井路を跨ぐいくつかの鉄道遺産を紹介してきましたが、ここでは井路ではなく、人が往来する道路を跨ぐための鉄道橋を紹介します。アーチづくりなので見た目も美しいです。大川(旧淀川)を跨ぐために築堤が高くなっており、またすでに廃駅となっている網島駅(今の大阪府立東高校あたりに […]

  • 2021-05-16
  • 2023-03-11

環状線:京橋から桜ノ宮間の井路川4本目

もともと、大阪市の都島区・城東区・旭区界隈にあった、農業用の水路としての井路川(いじがわ)、榎並川、鯰江川など、すでに埋め立てられた跡地や遺構を巡って、散歩がてらあちこち調べてきたことが始まりですが、JR環状線の京橋から桜ノ宮間をまたぐ4本目の井路川について、歴史の変遷を確認できる当地の遺構も含めて […]

  • 2021-05-01
  • 2025-09-25

大阪府大東市御領:せせらぎ水路となった御領の井路

井路(いじ)と呼ばれた農村地帯の水路がその役目を終えて、現代ではせせらぎ水路として地域の方に潤いと安らぎを提供している場所があります。大阪府大東市の御領(ごりょう)と呼ばれる地域の一画に行政・地域の方の尽力ににより、今はせせらぎ水路として当初の目的を変えて当時の姿をわずかばか残しています。かつて農村 […]

  • 2021-04-18
  • 2021-04-22

井路舟展示:鴻池新田会所

農業用水路としての井路川(いじがわ)を巡っていた井路舟がこちらに展示されていることを知り、見学してきました。大東市が管理しており、国の重要文化財となる建屋が多くありますが、私の目当てとしていた井路舟も二艘展示されていました。この地域はもともと低湿地帯でしたが、江戸時代に地域の関係者から幕府への陳情に […]