【結論】苦しい時であっても力を結集できる
仕事内容やタイミング、いずれにしろ楽しいと感じる時は別にして、苦しい、大変だ、という時こそ、それまでの上司部下の関係性や絆の強さなどが問われるでしょう。
楽しい時、苦しい時、仕事をしてれば色んなシチュエーションがあり、上司もまた一人の人間として時として色んな表情や態度があるでしょう。役目がら部下にとって耳の痛い事でも言わなければならない時もあるでしょう。
一方、部下は部下で、
「うちの上司は仕事を細かい事口出してくる」
「そんな事は言われなくてもわかっている」
(あんな言い方しなくても・・・)
(上司らしく組織を代表して他の組織長と交渉してくれない)
(毎回無茶振りしてくる、ノールックパスばかりだ)
と部下の方もまた色々と腹に溜めることもあるでしょう。しかし、管理者や上司もまた大変なのは間違いない。中間管理職として、上からやれ全体最適だの、君しかできない、難しい仕事でもそれをなんとかするのが組織責任者としての役割だの、大変なことを押し付けられる。一方で、事情や全容を知り得ない部下からは突き上げられ、やりきれない時もあるでしょう。
私は2004年に公開された、『キング・アーサー』をDVDで見たときは、どちらかというと、アーサー王よりも、共に戦ってきたその円卓の騎士達に共感を覚えることが多かったです。しかし、それから10年以上たって見直すと、この映画のアーサー王が上からの無茶な命令に対して、仲間の円卓の騎士達と真摯に向き合い、懸命にそのミッションをこなしているそのプロセスが、上司や管理職たるものはどうあるべきか、という一例を学ぶことができます。色んな性格のタイプの仲間を大切にし、部下を助け(その部下が気が付かない状況下)、公明正大、かつ冷静下にあって、適切な指示、まるで穴がありません。個人的には穴があったり、不得手のあるケースのほうが人間臭いところがより強まるのですが、映画の中では完璧な存在です。
円卓の騎士達
円卓の騎士、素晴らしい響きですよね。上座・下座関係なく、皆が平等、ということです。昨今のリモート会議アプリのZoomは、日本人を意識したのか、カメラ画像の並びに上座・下座の区別まであるのに対して、この円卓の発想は素晴らしいです。
この2004年に出てくる映画の騎士達は6名です。映画の設定では、幼少の頃にローマ帝国領地内にて、兵役のため徴兵され、アーサーとは15年もの間、共にし続けます。映画の中で出てくる円卓のテーブルには多くの空き椅子がありますが、それはこれまでの兵役の中で戦死してしまった騎士達かもしれません。
小説では、円卓の騎士達は周辺諸侯のそこそこ格式ある人達ですが、この映画では長い兵役を終えれば、名誉あるローマ市民証のようなものが発行され、自由の身になります。
映画終盤では、これまでアーサーとともに無茶な任務を終えて自由の身となった騎士達。アーサーはローマ帝国の士官として、ブリテン島を土着のウォードとともに、侵攻してくる勢力と戦わなければならない状況下にあり、兵役を全うした騎士達や非戦闘員を避難させます。騎士達はアーサーのもとから去ろうとしています。なぜなら彼らは役目を全うしたわけです。仕事から開放されたわけです。仕事でもなければ、命令を受けたわけでもない、戦えば命を落とす可能性があるリスクに対して、どう動いたか、わずか2分弱のこの動画には彼らの想いがとても伝わってきます。
騎士達の決断
騎士達は悩んでいました。その心を感じ取った馬は、前へ進みません。
騎士達は、お互い顔を見合わせたり、家族の顔を見たり、自分たちはどうするか錯綜しています。
「やれやれ、どいつもこいつもアホばっかりだな、そして俺もな」というランスロットの表情、ガラハット、ガウェインの表情もそれに近いです。この映画ではガテン系のようなオラオラ大将のボースも家族の顔を見合わせ、トリスタンは全員の気持ちが最初からわかっていたかのように、武具を装着し、アーサーのもとに帰る準備をする。
余裕あふれる騎士達の表情です。
左からランスロット、ガラハット、トリスタン、ボース(ゴツイおっさん)、ガウェイン。
寡黙で忠実な騎士:ダゴネット
最後の戦いには加われなかった、タゴネット。私はこの寡黙で優しい騎士が好きです。多くを語りませんが、アーサーを信頼し、その穏やかな表情と無茶な行動ぶり、彼の行動からも学ぶところあります。というか、私は省みるところあります。(映画では、タグネットとも聞こえます)
無茶な仕事を言われた時の部下の反応
上司がどうしても難しい仕事をお願いしなければならない時、どのような話し方、お願いの仕方になるでしょうか。急なミッションを上から受けたアーサー、一時を楽しんでいる部下の騎士達、アーサーは、「Brother in Arms」と仲間を表現し、無理難題をお願いすることになります。
「おいおい、マジかよ、冗談だろ、そりゃ」
「そんなことまでやれるか!」
「俺たちの仕事じゃない、あいつらにやらせろ」
トリスタンは難しい仕事でもなんら躊躇はない、むしろネガティブな反応をする仲間を煽る始末。ダゴネットは、上司を信頼しているのか、なんら反駁することなく、従う。悪童のようなボースは、アーサーに悪態つくも、盟友のダゴネットを守るためにと受け入れる。ガウェイン、ガラハット、彼らの表情もまた、言葉よりも多くを語っているように思えます。
個人的には、この後のアーサーの苦悩、ランスロットとのやり取りもまた、中間管理職らしい苦しいやり取りがあります。一人の人間としてのアーサーの人間臭いところが出る、数少ないシーンです。
今の時代、上司は数年で変わる方も多いでしょうし、長い年月の信頼を一朝一夕で築けるものではありません。しかし決して時間だけでなく、難しい仕事を一緒にこなした数だけ、共にした苦楽の数、その質によって、より関係性を深めるきっかけになるのは間違いないと管理人は信じて疑っていません。そこにはお互いの思いやりがあってこそでしょう。
自分のことばかり考えがちな私のような凡人は、それに少しでも近づけるように、ただただ努力するとともに、周りの方を尊重することこそがまず第一歩だと思っています。