- 2025-08-13
大川に眠る幻の鉄道橋 – 戦前に3つの橋が共存した奇跡の時代
はじめに 大阪市のJR環状線、桜ノ宮駅と天満駅の間を流れる大川。今でこそ一本の鉄道橋が静かに川面を渡るだけですが、かつてここには驚くべき光景が広がっていました。戦前のある時期、この川には鉄道橋が3つも並んで架かっていたのです。現在その痕跡を求めて現地を歩くと、煉瓦造りの橋台が今も静かに当時の壮大な計 […]
記事内容に公共交通に関連した内容が含まれる記事内容のカテゴリです。すでに廃線となってしまった鉄道なども含みます。
はじめに 大阪市のJR環状線、桜ノ宮駅と天満駅の間を流れる大川。今でこそ一本の鉄道橋が静かに川面を渡るだけですが、かつてここには驚くべき光景が広がっていました。戦前のある時期、この川には鉄道橋が3つも並んで架かっていたのです。現在その痕跡を求めて現地を歩くと、煉瓦造りの橋台が今も静かに当時の壮大な計 […]
はじめに 自転車で大阪市城東区の運河沿いを走っていた時のことです。城北運河に架かる「大喜橋」という橋を渡った際、何となく違和感を覚えました。橋自体はそれほど大きくないものの、歩道部が別になっており、1.5車線ほどです。通常なら一体的に設計されるはずの車道と歩道が、なぜか分離されているような構造になっ […]
昭和58年(1983年)3月22日。この日、国鉄筑肥線の博多駅~姪浜駅間が廃止され、同時に福岡市営地下鉄空港線との相互直通運転が開始されました。あれから42年の時が流れ、令和の時代を迎えた現在でも、かつてそこに鉄道があったことを物語る小さな痕跡が街の随所に残されています。 街歩きで出会った「おっ!」 […]
大阪市内で細長い公園、周辺と比べてやたらと幅員ある道路、もしくは歩道をみかけると非常に高い確率でそこがかつて川、もしくは水路、或いは鉄道だった可能性が高いです。大阪域内は水運や工業用・農業用にわたって豊臣秀吉公が統治した時代から天下泰平の江戸時代から、さらには明治時代にかけても多くの水路が開削されま […]
大阪環状線の東側部分は、かつて大阪鉄道が1895年(明治28年)に天王寺から梅田(大阪駅の近く)まで開通させたものです。当時は城東線と呼ばれていました。その後に関西を代表するヤンチャな私鉄、「関西鉄道」に大阪鉄道は買収され、関西鉄道が梅田駅を当時の官営鉄道の大阪駅と統合しました。天王寺から玉造、森ノ […]
大阪市営谷町線の都島駅から南の京橋方面へ向かう道路は、ゆるやかな曲線のカーブが2回あり、かつ周辺地域の平坦なのに対して、道路に勾配があります。道路を車や自転車で通ると、その不自然な道路構造を感じます。古地図を紐解いて、なぜちょっとおかしな線形になっているのか、なぜ勾配があるのか、を調べてみました。 […]
大阪市都島区の地下鉄谷町線都島駅から西へ徒歩3分ほどにある大阪市立総合医療センター。12の臓器別センターと58の診療科を擁し、各診療科に専門医を有し、高度かつ専門的医療を提供しています。病床数は1,000を超え、1,063床もあります。救急はもとより地域の高度医療には欠かせない重要施設です。ただこの […]
大阪市の北区と都島区の区界は、かつての淀川、今は大川と呼ばれる川が流れており、国道一号線から中央区から都島区に入るのは、桜宮橋(櫻宮橋)を渡ります。この桜宮橋、戦前は東洋一の長さを誇るアーチ橋でした。地元では銀橋と言われるこの橋の歩道がとにかくぶち抜きで広いです。なぜこんなにも広いのでしょうか。 橋 […]
大阪市城東区と都島区の区の境になっている都島通。谷町線の野江内代駅から高殿に向かっていくと緑のアーケードでおおわれている野江国道筋商店街を左手にみることができます。その反対側に、かつて旧京阪本線が走り、その脇には旧野江駅がありました。当地の現状と古地図を確認した内容を整理してみました。 場所 地下鉄 […]
大阪環状線の京橋駅と桜ノ宮駅間にて井路を跨ぐいくつかの鉄道遺産を紹介してきましたが、ここでは井路ではなく、人が往来する道路を跨ぐための鉄道橋を紹介します。アーチづくりなので見た目も美しいです。大川(旧淀川)を跨ぐために築堤が高くなっており、またすでに廃駅となっている網島駅(今の大阪府立東高校あたりに […]