榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承地の碑|能楽の源流と戦国の城を野江に訪ねて

大阪メトロ谷町線の野江内代駅を降りて東へ50メートルほど歩くと、榎並小学校の東門脇にひっそりと花崗岩の石碑が建っています。「榎並猿楽発祥の地」「榎並城跡伝承地」と刻まれたこの碑は、平成2年(1990年)3月に大阪市によって建立されたものです。住宅街の一角にありながら、ここには能楽の源流と戦国時代の城という、二つの重層的な歴史が刻まれています。普段は人通りもまばらな小学校の門脇で、思わず立ち止まってしまいました。

石碑の所在地は大阪市城東区野江4丁目1番28号、榎並小学校の東門前です。大阪メトロ谷町線「野江内代」駅の2番出口から東へ約50メートルと、アクセスは非常に良好です。以前の記事(京阪本線旧線の旧野江駅界隈の今昔)でもこのあたりを歩いていますが、石碑の存在に気づいたのは今回が初めてでした。石碑の脇には城東区役所が設置した案内看板もあり、榎並猿楽と榎並城の歴史が丁寧に解説されています。

能楽の源流「榎並猿楽」とは

猿楽(申楽とも書きます)とは、平安時代から鎌倉時代にかけて盛んだった芸能で、軽業や物真似、曲芸などを含む雑芸のことです。やがてこれに演劇の要素が加わり、能・狂言として発展していきました。現在の能楽の母体となった中世芸能で、寺社の祭事への奉納を主な活動としていました。

榎並猿楽は、鎌倉時代末期に丹波猿楽の「新座(しんざ)」としてこの地に座を構えた猿楽の一派です。京都法勝寺の修正会(しゅしょうえ)に参加する猿楽には3座あり、丹波矢田郷(現在の亀岡市内)を本座、そしてこの榎並を新座と称していました。榎並猿楽は住吉大社の御田植神事への奉納を通じて特権を得るなど、一時は本座をしのぐほどの勢いがあったと伝えられています。

しかし、応永31年(1424年)に丹波猿楽の楽頭職を大和猿楽の観世に譲り渡したことが転機となりました。さらに応仁の乱(1467年〜1477年)による混乱も重なり、榎並猿楽は次第に衰退していきます。天文年間(1532年〜1555年)にはほぼ廃滅していたと考えられています。観阿弥・世阿弥が大成した能楽の源流のひとつとして、この地が果たした役割は大きかったのではないかと思っています。

戦国の堅城「榎並城」の興亡

同じ石碑には「榎並城跡伝承地」とも刻まれています。榎並城は天文2年(1533年)に三好政長(宗三)によって築かれた城で、別名を十七箇所城とも呼ばれていました。淀川・旧大和川・周囲の池に三方を囲まれた天然の堅城で、小さいながらも東成郡随一の要衝であったといわれています。

この城が歴史の表舞台に登場するのが、天文18年(1549年)の「江口の戦い」です。細川晴元の政権下で勢力を拡大していた三好長慶は、同族でありながら晴元に近い三好政長との対立を深めていました。天文17年(1548年)10月、長慶は政長の息子・政勝が籠城する榎並城を包囲します。包囲は実に8か月にも及びましたが、三方を水に囲まれた城方の備えは厚く、容易には落ちなかったとされています。

翌天文18年6月、政長は榎並城の救援のため江口城(現在の東淀川区付近)に入りましたが、長慶軍に包囲されて討死。政勝は榎並城を放棄して逃亡し、晴元も京都へ退去しました。この戦いによって細川政権は事実上崩壊し、三好長慶が畿内の実権を握る大きな転換点となりました。

「榎並」の地名が語るもの

石碑の裏面。平成2年3月に大阪市が建立
石碑の裏面(平成2年3月 大阪市建立)

「榎並」という地名は、かつてこの一帯に広がっていた榎並荘という広大な荘園に由来しています。榎並荘は現在の城東区だけでなく、都島区や旭区にまたがる規模を持っていたとされ、中世にはこの荘園を基盤として猿楽座や城郭が営まれていました。

榎並城の正確な位置は、宝永元年(1704年)の大和川付け替えによって地形が大きく変化したため、特定が困難になっています。ただし、野江水神社付近が城跡の有力候補地とされており、この石碑もその伝承を今に伝えるものです。以前の記事(榎並川は都島区・城東区の南側の区境)で紹介した榎並川も、この榎並荘を流れていた水路のひとつでした。

まとめ・考察

榎並小学校前のこの石碑は、住宅街の中にひっそりと佇んでいますが、ここには鎌倉時代末期の猿楽から戦国時代の城まで、実に300年以上の歴史が凝縮されています。能楽の源流としての榎並猿楽、そして畿内の政局を大きく動かした榎並城。どちらも現在の野江界隈からは想像しにくいほどの歴史的重みを持っていると感じています。

この一帯は、以前の記事でも紹介した榎並川と京街道の野江橋や、内代井路に架かっていた榎並橋、さらに京橋駅東の鯰江川と大和街道など、埋もれた水路や旧街道の痕跡が数多く残る地域です。猿楽の座、戦国の城、江戸時代の荘園と水路——歩くたびに新しい発見がある野江界隈の奥深さを改めて実感しています。

出典・参考情報

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承地と刻まれた花崗岩の石碑
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