トヨクニハウス 戦火も耐え抜いた 大阪 都島のRC構造の集合住宅

大阪市都島区、谷町線都島駅を最寄りとして徒歩10分ほどのところに、日本でも最も古いRC構造(コンクリート構造)の集合住宅では筆頭クラスの建屋があります。その名はトヨクニハウス。過去の地図や航空写真からトヨクニハウスが見てきた当時の歴史を振り返りつつ、今のトヨクニハウスについて整理していきたいと思います。

トヨクニハウスはいつできたの?

昭和7年(1932年)に建設されたようです。この記事執筆時が2024年ですので、90年前ということになります。

1932年は第一次大戦終了後、まだ世界経済が不安定な中での代表的な出来事の一つにアメリカ ロサンゼルスで開催された第10回オリンピックがありますね。日本からは三段跳で南部忠平選手、馬術で西竹一(バロン西)選手、水泳では男子800mリレーをはじめ、水泳ではその他4つも金メダルをとりました。

明るいイベントだけでなく、国内では5.15事件がおき、世界経済では不安定な状況の中で、世界中に失業者が増加し、国際貿易も縮小していた時代でした。

できた当初はどのような存在だったの?

詳細まで調べることができていませんが、西洋人の設計し、建てられた当時は高級賃貸物件として憧れの住宅だったそうです。月額の家賃は当時の公務員の初任給の倍ほどだったとか。今の時代に置き換えてみたいと思います。公務員も国家公務員、地方公務員、その中でも色んな職種やグレードもあり、最近は何かと物価高な時代ですが、わかりやすく月額20万円として、その倍なのでトヨクニハウスの月の家賃を40万円とします。

大阪市域で月額40万円の家賃がどのようなものがあるでしょうか。不動産情報を検索する大手サイトで調べてみました。大阪市北区を対象に月額40万クラスの集合住宅を調べました。(個人的には月40万円という金額でどんな住宅なのか、という点でどきどきします)

検索にヒットするのはいずれもタワーマンションで、2LDKから3LDK、部屋の広さも60㎡から100㎡と様々ですが、ドびっくりする物件ばかりでした。

他にもこんなタワマンです。

その他、こんなのもあります、超高層階です。

今の感覚でいうと、こんなクラスに住む方が、昭和一桁時代にトヨクニハウスに住んでいたということですね。どんな方が住んでいたか、と考えるにあたって当時の地図を追って推察してみることにします。

トヨクニハウスはどこにあるの?

大阪市都島区にあって、谷町線都島駅からは徒歩10分ほどの距離です。

住所はこちらです。〒534-0011 大阪府大阪市都島区高倉町1丁目14−4

交差点に面していて、当初は6棟あったようですが、今は3棟が現存しています。

リノベ―トされて今も残っています。

航空写真と国土地理院を並べたのが以下の地図です。

トヨクニハウス部分だけを拡大してみると、こんな感じです。

それでは過去の航空写真を追いかけながら、当時を振り返ってみたいと思います。

過去の航空写真から

国土地理院のサイトのは過去の航空写真が提供されているので、そこから確認してみます。

1936年(昭和11年)~1942年(昭和17年)時の航空写真

この航空写真は1936年~1942年の間に撮影されたものとして、国土地理院に記述がありますが、太平洋戦争が始まった1941年前に撮られたものだと思われます。

左側に流れる川が大川、左下の交差点が今の都島駅です。その近くにあるのは今も続く都島工業高校です。トヨクニハウスはこの中心にあります。

もう少し拡大してみます。

おわかりいただけるでしょうか?今の高倉町界隈も建屋がぴっちり並んでいますが、トヨクニハウスは周囲とは異なる建屋であることが一目瞭然です。

左側にある大通り、北は赤川まで続いていますし、南は京橋の国道1号線まで続いていますが、かつてはここに大阪市電が走っていました。当時の航空写真をよーくみると、どうやら市電の駅らしき設備を確認できます。航空写真だと根拠に乏しいので、当時の地図でも確認してみたいと思います。

最寄りに市電の駅らしきマークを確認できます。トヨクニハウスは市電からも徒歩1分ほどの便利な場所にあったようですね。

大川沿いにはたくさんの工場がありましたが、この時代も製紙工場や紡績工場(鐘紡)があったので、そうした大企業の重役さんが家族くるみで近くに住んでいたのかもしれませんね。大川沿いにあった鐘紡の広大な紡績工場跡地は、今はベルパークとなって、集合住宅が多く林立しているエリアです。

1950年(昭和25年)時の航空写真

左側にあるのがトヨクニハウス。周辺は焼け野原状態です。

戦後の航空写真です。大阪は大小含めて100回以上の空襲があり、その中で100機以上の飛行機での空襲を「大空襲」として定義され、大阪は8回もの大空襲がありました。そのうち、第3回目の大空襲にて、今の都島区はB29 が落とす焼夷弾にって、都島区はほぼほぼ灰燼と化しました。

爆発を伴って目的物を破壊する「爆弾」ではなく、紙と木でできた日本家屋を効率的に壊滅させるには、爆発よりも火災のほうが効果的かつ効率的という観点です。多くの非戦闘員が住む建屋であっても関係なく、工場勤めをしている人間がいる、小さな自宅兼事務所で仕事している、とにかく日本の主要都市を徹底的に焼き払うことで日本の生産力、戦争継続する力を削ぐという点では効果的だといえます。それによって多くの家屋が火災によって失われた中で、コンクリート造りのトヨクニハウスは火災で喪失することなく、その形をはっきりとどめていることがわかります。

戦前の写真と比較してみてください。左が戦後、右が戦前です。右の写真では当時からしっかりと区画整理された格子状の地域にぴっしりと家屋が立ち並んでいるのがわかります。それが焼夷弾によりほとんどの家屋が焼けてしまっている中、コンクリート造りのトヨクニハウスは火災によって喪失することなく健在です。

1961(昭和36年)~1969年(昭和44年)時の航空写真

東京オリンピックが1964年、もはや戦後ではないといわれ、戦前のGDPにまで回復を果たしたころです。

左側中段、6棟あるトヨクニハウスが健在なのはもとより、都島区高倉町周辺も家々が立ち並び、復興していることがわかります。

1978年(昭和53年)時の航空写真

航空写真がカラー化されています。周辺には戸建てのみならず、色んな集合住宅やらビルも確認できます。トヨクニハウスも健在です。

1984年(昭和57年)~1986年(昭和59年)時の航空写真

この頃も6棟健在です。周辺にもより大規模の集合住宅の建屋が増えています。

2007年(平成19年)時の航空写真

それから次の航空写真を確認できるのが2007年、この時には6棟あったうちに南側のC棟、D棟を確認できません。

2017年(平成29年)時の航空写真

南側の一つ残った棟が確認できますが、かなり建屋が痛んでいるように感じます。

最新のGoogleでの航空写真

残念ながら南側に残った建屋は取り壊れてしまい、新しい建屋が経っています。角地のA棟は、天井からして建物のリノベ―トなり保守がされているように感じますが、北側に残っている残り2棟も航空写真上ではかなり痛んでいるようにみえます。

最後に

あと10年するとトヨクニハウスは100年となります。コンクリート構造の建屋を維持するにはお金もかかります。しかし当時のデザインや技術などが残っている貴重な建屋をなんとか残しておきたいなと思います。建屋、土地の管理者からすればより収益産む物件にしたほうが良いケースもあろうかと思いますが、学術的な価値であったり大阪市都島区の歴史とともにあったこのトヨクニハウスをなにかのシンボルとして、今後もその姿を維持し続けてもらいたいなと思いました。

今の時代、そのためには色んな方法が考えられるかと思います。私はかつて3年と数か月、最寄りに住んでいたこともあり、この建物の近くを通った際、いつもその何ともいえない魅力を感じていました。近くに住んでいる方に教えてもらい、とても歴史ある建屋だと教えてもらい、過去の航空写真ベースでの推移を調べてみたくなって、この記事作成へとたどりつきました。

トヨクニハウスはリノベーションされ、今はおしゃれなカフェがテナントで入っているようです。2016年に公開された「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の映画のロケに使われてようです。

映画.comより

リノベ―トされたトヨクニハウスには映画のロケでも使われたお洒落なカフェもあり、ちょっといつもとは異なる時間の流れを感じたい方、かつてのスーパーリッチ層の方々が住んでいた建屋でちょっとだけお金気分に浸りたい方、今の表現でいうところの90年前のデザイナーズマンションの雰囲気を味わってみたい方、ノスタルジィを感じつつ、忙しい現代を生きる我々は、たまにはゆっくり時間を忘れても良いかと思います。足をとめて建屋を見るのもよい、中に入ってひと時の時間を過ごすのも良い、各々の楽しい時間、もしくはゆっくりとした時間を過ごしていただくことを願っています。

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

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トヨクニハウス。戦火を越えてきた築100年近い集合住宅
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