- 2025-08-13
- 2026-03-12
大川に眠る幻の鉄道橋 – 戦前に3つの橋が共存した奇跡の時代
はじめに 大阪市のJR環状線、桜ノ宮駅と天満駅の間を流れる大川。今でこそ一本の鉄道橋が静かに川面を渡るだけですが、かつてここには驚くべき光景が広がっていました。戦前のある時期、この川には鉄道橋が3つも並んで架かっていたのです。現在その痕跡を求めて現地を歩くと、煉瓦造りの橋台が今も静かに当時の壮大な計 […]
はじめに 大阪市のJR環状線、桜ノ宮駅と天満駅の間を流れる大川。今でこそ一本の鉄道橋が静かに川面を渡るだけですが、かつてここには驚くべき光景が広がっていました。戦前のある時期、この川には鉄道橋が3つも並んで架かっていたのです。現在その痕跡を求めて現地を歩くと、煉瓦造りの橋台が今も静かに当時の壮大な計 […]
福岡市早良区の室見川と金屑川が合流する地点には、現在多くの立派な住宅が建ち並ぶ閑静な住宅地が広がっています。しかし、この一帯をゆっくりと歩いてみると、現代の街並みの中に時折現れる不思議な遺構に気づくことがあります。今回は、偶然発見した橋の親柱と欄干の痕跡から、この地域にかつて存在した水路の歴史を探っ […]
大阪から京への街道、京街道。古地図を紐解くと京街道の大阪市エリアは水路と並行している場所が多くあり、それぞれ川や水路の名前は違えど、街道沿いに水路があったというべきか、水路沿いに街道があったというべきか迷うくらい水路と並行しています。地下鉄でいうところの野江内代駅界隈から関目にかけて伸びていた内代井 […]
大阪市北区樋ノ口町の大川から天満を抜けて天神橋と難波橋の地域(今の菅原町)まで水路だった天満堀川、その中間地域にあり日本一長い商店街である天満商店街の天神橋三丁目と四丁目を流れていました。かつては夫婦橋(ふうふばし)という名の橋がかかっていました。1960年代以降の都市高速建設時に天満堀川は埋め立て […]
大阪環状線の東側部分は、かつて大阪鉄道が1895年(明治28年)に天王寺から梅田(大阪駅の近く)まで開通させたものです。当時は城東線と呼ばれていました。その後に関西を代表するヤンチャな私鉄、「関西鉄道」に大阪鉄道は買収され、関西鉄道が梅田駅を当時の官営鉄道の大阪駅と統合しました。天王寺から玉造、森ノ […]
大阪市営谷町線の都島駅から南の京橋方面へ向かう道路は、ゆるやかな曲線のカーブが2回あり、かつ周辺地域の平坦なのに対して、道路に勾配があります。道路を車や自転車で通ると、その不自然な道路構造を感じます。古地図を紐解いて、なぜちょっとおかしな線形になっているのか、なぜ勾配があるのか、を調べてみました。 […]
江戸時代、大坂は八百八橋、と形容されるほど川の多い都市でした。ただ、実際には橋の数は江戸のほうが多かったようですが、当時の大坂域内での単位面積あたりの橋は決して少ないものではなかったと思います。その中で、お上の投資、いわゆる江戸時代の幕府によって架けられた橋は「公儀橋」と呼ばれ、大坂域内には12の公 […]
今の都島区と城東区を区の境となっているのは、かつて榎並川が流れていた部分であり、今は道路となっています。京橋界隈の鯰江川から北上し、都島本通から北西方面へ続いていました。城東区野江三丁目界隈にはこの榎並川を跨ぐ橋があったようでして、それに関する文献や史跡を探してきましたが、この度それらに関する文章と […]
前回、大阪市城東区のに鴫野西には鐘淵工場の広大な敷地があり、寝屋川から「h」型の運河が開削された時代を古地図ベースで確認しました。今回、当地での遺構がないかを調べ、かつて運河にかかっていたであろう橋の親柱を確認することができました。近代に開削された運河、曲がり角は広い用地になっており、その曲がり角は […]
近代的な高層ビルがある京橋駅の南西方面にある大阪ビジネスパークこと、OBP。かつては陸軍砲兵工廠があった場所です。一方、京橋駅の南東方面、OBPの東側にある環状線のさらに東側、あるいは学研都市線の鴫野駅の西側には多くの集合住宅が林立しています。これだけの広い地域を確保できた背景には、工場か何かがあっ […]