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城東区

  • 2026-03-14

榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承地の碑|能楽の源流と戦国の城を野江に訪ねて

大阪メトロ谷町線の野江内代駅を降りて東へ50メートルほど歩くと、榎並小学校の東門脇にひっそりと花崗岩の石碑が建っています。「榎並猿楽発祥の地」「榎並城跡伝承地」と刻まれたこの碑は、平成2年(1990年)3月に大阪市によって建立されたものです。住宅街の一角にありながら、ここには能楽の源流と戦国時代の城 […]

  • 2025-09-23
  • 2026-03-12

大阪市城東区野江地域に残る戦前の蔵と街並みの変遷 ~大阪空襲を免れた歴史的建造物の発見~

とある日、野江内代駅から野江駅方面へ向かう道すがら、ふと目に留まった古い建物がありました。現代的な住宅が立ち並ぶ中に、明らかに戦前の建築と思われる立派な蔵が2つも残されているのです。史跡好きの私としては、これは見過ごすことができません。早速調べてみることにしました。 発見した蔵の特徴 この地域で見つ […]

  • 2025-07-21
  • 2026-03-12

大喜橋:大阪電気軌道四條畷線の遺構が語る鉄道計画の夢と挫折

はじめに 自転車で大阪市城東区の運河沿いを走っていた時のことです。城北運河に架かる「大喜橋」という橋を渡った際、何となく違和感を覚えました。橋自体はそれほど大きくないものの、歩道部が別になっており、1.5車線ほどです。通常なら一体的に設計されるはずの車道と歩道が、なぜか分離されているような構造になっ […]

  • 2023-03-12
  • 2026-03-12

大阪市城東区蒲生4界隈の煙突

蒲生4丁目、国道として大阪市内の主要幹線道路の渋滞規模の観測地点でも名前があがり、また地下鉄の長堀鶴見緑地線、今里筋線の結節点でもあり、蒲生町内には都市計画の大きな流れに乗らず、細く狭い路地、狭隘な生活道路がひしめくなか、魅力的なお店がポツポツあります。基本的には住宅街ですが、古い建屋、神社等、足を […]

  • 2022-12-11
  • 2026-03-12

森ノ宮の大阪砲兵工廠跡:石碑と古地図で辿る歴史

大阪砲兵工廠とは 大阪砲兵工廠の場所と広さについて 最終時は大阪陸軍造兵廠と呼ばれ、今の大阪城の東外堀から、大阪城公園の東側、森ノ宮のほどんどを占め、北側のOBPなども含めて、アジア最大の軍需工場でした。 日本の文明開化に伴って、当時は富国強兵政策のもと、1870年(明治3年)に早々と造兵司設置が設 […]

  • 2022-12-10
  • 2026-03-12

京街道沿いを流れていた内代井路に架かっていた榎並橋

大阪から京への街道、京街道。古地図を紐解くと京街道の大阪市エリアは水路と並行している場所が多くあり、それぞれ川や水路の名前は違えど、街道沿いに水路があったというべきか、水路沿いに街道があったというべきか迷うくらい水路と並行しています。地下鉄でいうところの野江内代駅界隈から関目にかけて伸びていた内代井 […]

  • 2022-11-27
  • 2026-03-12

千間川:城東区と東成区の境。~緑橋・深江橋の駅名由来~

大阪市内で細長い公園、周辺と比べてやたらと幅員ある道路、もしくは歩道をみかけると非常に高い確率でそこがかつて川、もしくは水路、或いは鉄道だった可能性が高いです。大阪域内は水運や工業用・農業用にわたって豊臣秀吉公が統治した時代から天下泰平の江戸時代から、さらには明治時代にかけても多くの水路が開削されま […]

  • 2022-11-23
  • 2026-03-12

大阪環状線の大阪鉄道時代の遺構橋梁-OBP

大阪環状線の東側部分は、かつて大阪鉄道が1895年(明治28年)に天王寺から梅田(大阪駅の近く)まで開通させたものです。当時は城東線と呼ばれていました。その後に関西を代表するヤンチャな私鉄、「関西鉄道」に大阪鉄道は買収され、関西鉄道が梅田駅を当時の官営鉄道の大阪駅と統合しました。天王寺から玉造、森ノ […]

  • 2022-11-06
  • 2026-03-12

榎並川と都島本通手前にあった京街道の野江橋

今の都島区と城東区を区の境となっているのは、かつて榎並川が流れていた部分であり、今は道路となっています。京橋界隈の鯰江川から北上し、都島本通から北西方面へ続いていました。城東区野江三丁目界隈にはこの榎並川を跨ぐ橋があったようでして、それに関する文献や史跡を探してきましたが、この度それらに関する文章と […]

  • 2022-11-05
  • 2026-03-12

鴫野西にあった鐘淵(鐘紡)運河の遺構を探る

前回、大阪市城東区のに鴫野西には鐘淵工場の広大な敷地があり、寝屋川から「h」型の運河が開削された時代を古地図ベースで確認しました。今回、当地での遺構がないかを調べ、かつて運河にかかっていたであろう橋の親柱を確認することができました。近代に開削された運河、曲がり角は広い用地になっており、その曲がり角は […]