CATEGORY

史跡・歴史

史跡や歴史に関連するカテゴリです。

  • 2024-09-24
  • 2024-09-24

日本100名城の住所をTableau上でプロットしてみた

公益財団法人 日本城郭協会が日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募し、観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などを基準に審査の上選定、2006(平成18)年に発表したものが日本100名城です。築城され、歴史上の色んな理由で喪失してしまった城が多い中、国内ではなおも多くの城、城跡が史跡 […]

  • 2024-09-08
  • 2024-09-09

2050年 各地方自治体での2020年の人口比~Tableauで全国の自治体毎でのヒートマップ表示させてみた~

2024年4月に民間団体での有識者でつくる「人口戦略会議」にて、「日本の地域別将来推計人口(2023年推計)」にもとづき、人口から見た全国の地方自治体の「持続可能性」について分析したニュースが話題となりました。人口の出生率の「自然減」と人口流出の「社会減」の両面から「自立持続可能性自治体」「ブラック […]

  • 2024-09-04
  • 2024-09-08

Tableauで同名自治体がある場合のマップ作成時に気を付けること

Tableauを使って自治体毎の何かしのデータのヒートマップ作成時に、日本国内で同じ自治体名が複数ある場合は、単純な操作だけではTableau内で正しく表示できない場合があり、その対処方法について整理しました。 解決方法 まずは結論としてどうしたら良いか記述します。 課題の整理 同名の自治体 日本国 […]

  • 2024-06-02
  • 2024-06-02

城内の旧舞鶴中学校跡地の散策(福岡市中央区)

福岡市中央区の舞鶴公園・大濠公園の間、かつて多くの中学生が通う学校がありました。2014年にその役目を終えて、城内地区の舞鶴中学校は最寄りの3つの小学校と合併するように別の場所へ移転しました。かつての中学校の建屋は、市の施設「三の丸スクエア」「アーティストカフェフクオカ」として再活用されています。2 […]

  • 2024-04-14
  • 2024-04-15

福岡城内にある空き地だらけの住宅地区の2024年の現状、過去そして今後

福岡城内の敷地は広大です。ただ、その広大な敷地の中で、どういうわけかポツン、ポツンとした戸建てがあるエリアがあります。こんな良い立地のところにある戸建てではありますが、なぜかその戸建て周辺には空き地といいますか、緑地も広がっており、なにか時間の流れが異なっている、停まっている、もしくは何か違和感ある […]

  • 2024-04-07
  • 2024-04-08

西新駅(福岡市営地下鉄空港線)最寄りにあった炭鉱跡地界隈を散策

福岡市早良区の繁華街ともいえる場所が西新駅界隈だと思っています。歩行者主体の商店街が長く続き、昔ながらのお店もありつつも、最近のお店もあり、また周囲には福岡市を代表する修猷館高校や西南学院大学などもあります。この西新駅最寄りにかつて炭鉱があったことを地図で確認できます。炭鉱マークはもとより、ひらがな […]

  • 2024-01-28
  • 2024-03-25

トヨクニハウス 戦火も耐え抜いた 大阪 都島のRC構造の集合住宅

大阪市都島区、谷町線都島駅を最寄りとして徒歩10分ほどのところに、日本でも最も古いRC構造(コンクリート構造)の集合住宅では筆頭クラスの建屋があります。その名はトヨクニハウス。過去の地図や航空写真からトヨクニハウスが見てきた当時の歴史を振り返りつつ、今のトヨクニハウスについて整理していきたいと思いま […]

  • 2023-03-12
  • 2023-03-12

大阪市城東区蒲生4界隈の煙突

蒲生4丁目、国道として大阪市内の主要幹線道路の渋滞規模の観測地点でも名前があがり、また地下鉄の長堀鶴見緑地線、今里筋線の結節点でもあり、蒲生町内には都市計画の大きな流れに乗らず、細く狭い路地、狭隘な生活道路がひしめくなか、魅力的なお店がポツポツあります。基本的には住宅街ですが、古い建屋、神社等、足を […]

  • 2023-03-11
  • 2023-03-12

今も活きる大阪天満の赤レンガ建屋群

大阪環状線外回り、大阪駅から京橋方面に向かう際、最初の駅は天満駅となります。天満駅を出発すると大川(旧淀川)を渡って、桜ノ宮駅そして京橋駅へとつながるわけですが、天満駅を出て桜ノ宮駅へいくまでの大川を渡る前の左側(方角でいうと北側)に赤レンガの建屋群を何棟も確認できます。こちらの建屋について整理して […]

  • 2022-12-11
  • 2023-11-25

森ノ宮UR公団内の大阪砲兵工廠跡の石碑と今昔地図

大阪砲兵工廠とは 大阪砲兵工廠の場所と広さについて 最終時は大阪陸軍造兵廠と呼ばれ、今の大阪城の東外堀から、大阪城公園の東側、森ノ宮のほどんどを占め、北側のOBPなども含めて、アジア最大の軍需工場でした。 日本の文明開化に伴って、当時は富国強兵政策のもと、1870年(明治3年)に早々と造兵司設置が設 […]