京橋の都島区との境目に位置する城東区の野江、南北に長い細長い地域で、区の境目となるかつての榎並川に沿います。北側には谷町線の野江内代駅がありますが、この野江の2丁目界隈の非常に入り組んだ地域に煙突があります。この入り組んだ地域は周囲にそこまで大きな道路はありませんが、幸いにして周辺部に高い建物が少なく、最寄りの幹線道路沿いに駐車場もあることから、その奥にある煙突を視認しやすいです。さてさて、この煙突元について整理しました。
【結論】現役銭湯の「寿温泉」さんの煙突
灰色もしくは銀色に近い煙突を確認できます。煙突元で見るため、さらに近づいてみます。
煙突には、「寿温泉」と書かれています。その上の文字は、「湯」を崩した字でしょうか?
煙突はとても綺麗です。
今度は南西側へ回ってみました。
北東側、南西側にそれぞれ「寿温泉」の文字を確認できました。このアングルからだと煙突に沿うハシゴも確認できます。
入り口
煙突撮影時にタイミングと違って夜ですが、銭湯の入り口は本当に住宅街の中に、いきなり出てきます。車では地元の方以外はそうそう入らない隘路でして、入り口は北側に面しています。
銭湯の脇にはお決まりのコインランドリー。自転車しか入れないような生活道路です。
静かな住宅ですが、銭湯の看板にありがちな、様々なお風呂、設備があることを伝える色とりどりな文字。深夜でもお客さんは多いです。(かくいう私もその一人です。)
銭湯内
隘路だらけの住宅街の中にありますが、銭湯内は広く快適です。湯上りの休憩用のスペース以外に別途、マッサージ機が6台、ルームランナーが置かれている専用の部屋もあります。
マッサージ機について、15年周期くらいのタイプのものが3種あり、一番古いものは、それこそ40年くらい前のものでしょうか。それ以降、各世代のマッサージ機がありますが、年代のよってマッサージ機の値段が異なります。
100円、50円、30円の価格設定となり、とても良心的な価格でした。
脱衣所も適度な広さがあります。様々なタイプのお風呂は、ややこじんまりしていますが、気軽にいける銭湯の規模としてはまったく申し分ありません。
銭湯は比較的年齢層が高い方が利用されるという私の勝手な思い込みがありましたが、こちらの寿温泉さん、私が訪問時には若い世代の方の比率も他の銭湯と比べて高かった気がします。
銭湯内個別については、また別項にて今後整理していきたいと思います。
場所
谷町線の野江内代駅からは徒歩で6分(400m)ほどです。幹線道路の都島通から南に入ると、狭い道路を縫うようにしていくと住宅街の中にひっそりあります。
太平洋戦時に大阪は多くの空襲を受けましたが、この地区に限っていえば、幸いにして直接的な爆撃や焼夷弾の類の戦災を免れており、昔ながらの古い込み入った道路や古い建屋が多く残っています。
少し戦前、戦後の航空写真などをベースにレビューしてみたいと思います。
1911年(明治44年)の地図
流石に100年前は、まだ田んぼですね。田園地域が想像できます。その中にあって、井路(水路)が巡っているのがわかりますし、ため池らしきものも確認できます。
また、高架化する前の京阪電車の路線も確認できます。現在の京橋~関目の路線から少し西側を走っているように見えます。
1936年(昭和11年)年時の航空写真
1936年の航空写真ですと、京阪電鉄も今の路線となり、移設された野江駅も確認できます。寿温泉の周りには多くの長屋があることがわかります。
拡大してみましたが、この頃からすでに道が混み入った状態になっていることが確認できます。長屋がたくさんありますね。
1950年(昭和25年)時の航空写真
戦後の航空写真です。36年時の航空写真と比較して、戦災で焼けてしまったところ、それを免れたところがわかります。今の谷町線、野江内代駅周り、それから寿温泉周りの家屋は戦災にあっていないようです。
拡大して確認したいと思います。建屋が残っているところ、更地のようになっているところが明白です。寿温泉の西側に南北を走る榎並川がありますが、その榎並川からさらに西側の今の都島区あたりは道路だけが残り、かつてあった建屋がほぼほぼなくなっています。爆撃というよりも、日本の家屋を広く燃やす尽くすことに特化して開発された焼夷弾によるものでしょうか。
榎並川を隔てて、大きな差があります。川を境に延焼を食い止められたと考えるとなると、やはり爆弾ではなく焼夷弾による影響かもしれません。
1964年(昭和39年)時の航空写真
この頃になると、ほぼほぼ現在と同じようなような状況でしょうか。京橋駅からやや南側には、今はもう埋め立てられている鯰江川をまだ確認できますね。
最新の航空写真
寿温泉周りの地域だけが、区画整理を免れているのか、かつての細い隘路とくねくねした道が多く残っています。
最新の地図
現地にいくとわかりますが、実際は地図にはない細い道がたくさんあります、道なのかひと様の庭先の通路なのかわからない路もあります。
最後
「あっ、煙突だ!」、指をさして興奮するわけではありませんが、煙突を発見すると、なんだかとてもワクワクします。これまでの経験上、ほとんどが銭湯なのですが、まれに工場だったりします。遠くから目に入った煙突の近くまでいってみると、煙突が大きく、そして高いものだと改めて感じさせられます。
何をいまさら、大阪市内には高さ10階以上の縦長屋がたくさんあるし、煙突なんぞ所詮高さ4階か5階くらいなわけではありますが、煙突の独特の形、材質、そこに描かれている文字、煙突沿いに架けられているハシゴ、色んなことを考えてしまいます。パンダ模様の深草温泉さんの煙突のように、塗装するアイデアなんかもとても素敵です。
クリスマスの時期に、白と赤の模様に、わずかばかり緑色で塗られた煙突があったら映えるでしょうね。いやいや、白と赤の煙突や港湾地域でもみますね。
煙突には歴史があります。次回は煙突元の経営者に、煙突に関するエピソードについて、ヒアリングしてみたいと思います。おそらく銭湯の経営者さんになるかと思いますが。。。
今回は野江の銭湯、「寿温泉」さんの煙突でした。「寿」って縁起が良いネーミングですよね。なぜこの名前にしたのか、とても気になります。これもまた次回入浴した際に、番台に座っているご主人、もしくはおばちゃんに聞いてみたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。