福岡市早良区の室見川と金屑川が合流する地点には、現在多くの立派な住宅が建ち並ぶ閑静な住宅地が広がっています。しかし、この一帯をゆっくりと歩いてみると、現代の街並みの中に時折現れる不思議な遺構に気づくことがあります。今回は、偶然発見した橋の親柱と欄干の痕跡から、この地域にかつて存在した水路の歴史を探ってみたいと思います。
偶然の発見
自転車でのんびりとこのエリアを散策していたとき、住宅街の一角で興味深い構造物に目が留まりました。現在は道路の一部として使われている場所に、明らかに橋の親柱と思われるコンクリート製の構造物があったのです。さらによく観察してみると、その両側には橋の欄干のような構造も確認できます。
現在その場所の下には水は流れておらず、道路や緑地帯となっていますが、この構造物の存在は間違いなく、ここにかつて水路があり、それを跨ぐ橋が架けられていたことを物語っています。
古地図からの検証

この推論を裏付けるため、1920年代の古地図を確認してみました。すると予想通り、現在緑地帯となっている場所に、水路と思われる線を確認することができました。この水路は室見川と金屑川の合流点付近を流れ、周辺の田園地帯を潤していたものと考えられます。以下、おそらく水路だったと思われる部分を水色で着色してみました。

昭和初期の地図と現在の地図を比較すると、当時のこの地域は一面の田畑であり、農業用水路が縦横に走っていたことがわかります。発見した橋の遺構は、まさにこの農業用水路を跨ぐために設けられたものだったのです。
早良区の田園時代
福岡市早良区のこの地域は、戦前から戦後しばらくまで典型的な田園地帯でした。室見川と金屑川という二つの川に挟まれたこの地域は、水に恵まれた肥沃な土地として、稲作を中心とした農業が営まれていたことは地図内の田んぼを示すマーク「||」から読み取れます。
※今は明治通り沿いに、福岡市営地下鉄空港線が走っていますが、この時代は、地図に「北筑軌道」の名称を読み取ることができます。後の西日本鉄道(今の西鉄)の前身の博多電気軌道に合併されますが、当初は客車移動よりも貨物移動が主だったようです。
農業には欠かせない水路網が張り巡らされ、水田への給水や排水、さらには農作物や農具の運搬にも利用されていました。これらの水路は単なる用水路としてだけでなく、農村地帯の重要な交通手段でもあったのです。
橋の遺構が語るもの

今回発見した橋の遺構は、コンクリート製でしっかりとした造りになっています。これは昭和期に入ってから建設されたものと推測されます。戦前の木造の橋から、より耐久性の高いコンクリート製の橋へと移り変わっていく時代の産物といえるでしょう。
欄干部分の装飾も比較的シンプルで実用性を重視したデザインとなっており、華美な装飾を施した都市部の橋とは異なる、農村地帯の橋らしい特徴を持っています。橋の親柱には、「汐浜橋」とあります。海がすぐそこにある名前の橋にぴったりですね。

都市化と水路の消失
戦後の高度経済成長期に入ると、この地域も急速な都市化の波にのまれました。田畑は次々と宅地に転換され、農業用水路もその役目を終えることとなります。多くの水路は暗渠化されるか、完全に埋め立てられて道路や緑地帯に姿を変えました。
しかし、興味深いことに、水路を跨いでいた橋の一部は道路の構造物として再利用され、現在もその役割を果たし続けています。これは、既存のインフラを有効活用した都市開発の一例ともいえるでしょう。
類似事例との比較
このような水路の痕跡や橋の遺構は、全国各地で確認することができます。過去に私が調査した大阪市内の井路川の事例(京橋界隈の井路川(筋遺井路川)跡地の遺構)や、大阪府大東市の御領地区の水路(せせらぎ水路となった御領の井路)など、都市化の過程で消失した水路の痕跡は各地で見つけることができます。
これらの事例に共通するのは、水路がその地域の農業や生活に不可欠な存在だったということです。そして、都市化とともにその役割を終えた後も、橋梁や護岸の一部が街の記憶として残り続けているという点です。
現在の緑地帯ーかつては水路だった

現在、かつての水路跡は緑地帯として整備され、松の木が植えられて市民の憩いの場となっています。これは偶然の結果ではなく、都市計画の中で緑地を確保する必要から、旧水路跡地が有効活用された結果といえるでしょう。
水路としての機能は失われましたが、緑のオープンスペースとして地域住民に親しまれている現在の姿も、この土地の新しい歴史の一部といえるのかもしれません。
地域の記憶を辿る意味
この福岡の住宅地で見つけた橋の遺構は、日本全国で繰り返された都市化の物語を象徴するもの一つであると思います。かつては田園地帯だった地域が宅地化され、田園地帯へ水を供給する必要がなくなった水路は埋められ、緑地エリアや公園へ生まれ変わる、これも都市化への変遷の一つだと思います。
街を歩きながらこのような遺構を発見することは、単なる散策以上の意味があります。それは、私たちが住む街の成り立ちを理解し、先人たちの営みに思いを馳せる貴重な機会でもありました。
場所
福岡市地下鉄空港線、室見駅から徒歩5分ほどです。松林の緑地帯エリアは駅を出てすぐです。金屑川沿いある室見公園と道路の境目にかつての橋だった欄干を見つけることができます。松林はこの三角州を横断していたかつての水路だったわけです。
おわりに
今回福岡市早良区の室見で発見した橋の遺構は、この地域がかつて豊かな田園地帯であったことを静かに物語る貴重な証人です。現在は立派な住宅が建ち並ぶエリアとなっていますが、その足元には確実に農村時代の記憶が刻まれています。
こうした街の記憶を発見し、記録に留めることは、地域の歴史を次世代に伝えることができるのでは、と想うと記事に起こすこともまた楽しいものといえます。偶然の出会いから始まった今回の調査でしたが、改めて身近な場所に眠る歴史の面白さを実感することができました。
皆さんも普段の散策の中で、何気ない構造物や地形に注目してみてはいかがでしょうか。そこには思いもよらない地域の物語が隠されているかもしれません。私は地域の生き証人のような遺構を見つけるたびに何か嬉しい気持ちになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。